カテゴリー: 名経営者が残したあの言葉


おもしろ人事

ある会社でユニークな人事を行っている。

一般企業の部長職に当たる役職を選挙で決めるそうだ。

「上三年にして下を知り、下三日にして上を知る」

こう言われるように、上司は部下のことを理解していないが、部下は上司のことを良く理解しているのである。

だからこそ、部門長は部下が選ぶのが理想的なのだという。

確かに、選んだ部下も選ばれた部長も、このやり方が一番やりやすいと思う。

この人事を導入している社長は次のように言っている。

「私にこびを売るばかりの部下はいなくなるうえ、私が部門長を選ぶ手間もはぶけます」

確かにその通りである。

きっと、社員も働きやすい会社だと想像できる。

ソフトバンク2.0~孫正義の後継者~

ソフトバンクの孫正義社長は、実質的な後継者としてニケシュ・アローラ氏を指名した。

ニケシュ氏はインド出身で、現在47歳。

Googleのナンバー2として実質的に経営を取り仕切っていた人物である。

ソフトバンクに参加したのは、2014年の7月からだという。

6月の株主総会で代表取締役副社長に就任する予定である。

今回の人選は、2010年に掲げた孫正義社長の「30年後、時価総額200兆円、世界トップ10の会社になる」という目標を達成するために、逆算方式で考えぬかれた結果であるという。

また、同年、後継者育成のためにつくった「ソフトバンク・アカデミア」で、孫正義社長は後継者の条件を「10年で時価総額を5倍にすること」と規定した。

当時のソフトバンクの時価総額は3兆円で、その後は約9兆円となっている。

9兆円の時価総額を今から5倍にするとなると、10年で45兆円にしなくてはならないことになる。

ちなみに、Googleは約44兆円で、世界第3位である。

日本一のトヨタでさえも約19兆円で、世界では20位前後。

世界トップ10の会社を目指すには、世界中の優秀な人材の中から後継者を選ぶ必要があったのだろう。

「今までは日本のソフトバンクが海外の会社に投資を行う立場でしたが、これからは第2のソフトバンクとして、世界のソフトバンクが日本に事業展開しているといった立場になりたい」

これは孫正義社長の言葉である。

これを“ソフトバンク2.0”と表現する記事があったので、ありきたりな言い回しだが、そのまま流用した。

さて、もともとソフトバンクは、ソフトの銀行という社名の通り、(アプリケーション)ソフトの卸業としてスタートしている。

だが、その後は、Yahoo! BBをはじめ、ボーダフォン日本法人買収による携帯電話参入など、通信事業が中心になっていた。

ちなみに、ボーダフォン買収前に球団を買収したのは、Yahoo! ブランドの影にかくれていたソフトバンクという社名を世に知らしめる目的もあった。

確かに、ソフトバンクは数々のイノベーションを起こして、今では日本の通信事業で業界トップに躍り出た。

だが、個人的にキャリアとしてのソフトバンクには、最近、魅力を感じなくなっていた。

おそらく孫正義社長の意識は、すでに国内の通信事業の先へ向かっていたのだろう。

そこで、今回の後継者発表。

有言実行の孫正義社長が言うように、元Googleのナンバー2と共に、これからは世界の(アプリケーション)ソフトバンクへと進化していくことを確信してる。

一時期、ソフトバンクモバイルは、ドコモやauに巻き帰されるかもしれない。

だが、これからは、国籍を問わずに、優秀な人材が世界のソフトバンクへ集まってくると予想される。

そして、世界を相手に別事業を展開するようになれば、国内の3つのキャリアの争いなど、ソフトバンクにとっては誤差の範囲になってしまうかもしれない。

そういえば、楽天の三木谷会長は、以前、社内の公用語を英語にすると言っていた。

その後、どうなったかはわからないが、ソフトバンクは、わざわざ宣言しなくても、自然とそうなるかもしれない。

改めて、孫正義という人は、ほんとうに我々と同じ生身の人間なのだろうかと思えてくる。

だが、やっぱり同じ世界の人間なのだ。

龍馬伝の話題など、ツイッターを通して身近な存在に感じていたころが懐かしい。

いずれにしても、人は身分相応でなくてはならない。

今の自分の立場を客観的にみて、大きな時流の中で世の中の一歩先をいく努力をしなくてはならないのだ。

雲の上の大きな存在が巻き起こす風を感じながら、今ここを一生懸命に生きるしかない。

世界平和という大きな夢をみながら。

森村市左衛門(森村グループ創始者)

「よしや、やり損じても、また儲けなくても、国家のためになることならば、ドシドシやってみるがよかろう。自己を犠牲にしても、国家将来のため、社会人類のために働くという覚悟は、事業を成す秘訣であると私は断言する」

・管理人の感想

森村市左衛門は13歳で見習奉公に出ているが、生来虚弱体質であり、わずか3年で実家に帰っている。

しかし、精神は強靭で「われも貧乏の子だが、六根を清浄にし、正しき道を踏み行なわば思う事成就せずという事なし」と心に誓って中津藩の御用商人となる。

森村氏は、その時に出会った福沢諭吉との交流を通して「国家のために外国貿易を行い外国の金を取って日本の金を殖やす」ことの大切さを知り、現在のノリタケや日本ガイシ、TOTO、INAXといった陶業メーカーの基礎を築いた人物である。

今の時代、金儲けが上手なだけの創業社長で、上場してしまう人もいる。

つまり、夢や理想を持たないまま、勢いだけでも、そこまで行けるということだ。

だが、そんな人たちは、そこで必ず壁にぶち当たる。

規模はどうあれ、夢や理想を持った経営者は強い。

逆に夢や理想のない経営者は会社をつぶすか別の人に任せるしかない。

どんなにまわりに素晴らしい人がたくさんいても、ビジネスはひとを超えないのだ。

例えば、ソフトバンクは孫正義を超えないし、ジェイアイエヌは田中仁を超えない。

つまり、経営者の器を超える企業は存在しないということである。

現代は資本主義。

金儲けに夢や理想がついてくるのか、夢や理想に金儲けがついてくるのか、それはケースバイケースなのだと思う。

もしかしたら、個人の生まれ持っての宿命や資質なども影響しているのかもしれない。

きっと、うまく両者のバランスが取れた者だけが、世に出て未来を創る事業家となれるのだろう。

とにかく一番大事なのは、素直さと変化を恐れず進化することへの覚悟と、何と言っても本人の努力である。

夢や理想がある人もない人も、この世の中で自分に与えらえれた役割をきっちりと果たすため、一生懸命努力しなくてはいけないのだと思う。

そして、せっかくこの時代のこの世に生まれたのだから、自分の夢や理想をしっかりと確立して、今ここを生きたいものである。

森永太一郎(森永製菓創業者)

「どんなに良い品物でも、人に知られなくては売れないんだよ」

・管理人の感想

今の時代、品物を世に知らしめる方法はいくらでもある。時は廻り、今は、まず良い品物をつくらなければいけない時期になっている気がする。

そして、大前提である本物と呼べる品物が完成したら、次の4つのステップが重要になる。

Step1.まずは知ってもらう

I Know…

重要なことは、実態を伝えること。実態が伝えるに足る内容になっていることが先決。
知名度獲得=発信量の多さ、頻度など提供する情報の多さで決まる。

Step2.好感を持ってもらう

I Like…

有言(発言)実行(活動)の認知。消費者が好感を持ち、利益に貢献する活動を起こす。
重要なことは「言行一致」を消費者に納得させる“質”である。

Step3.消費者の信頼を勝ち取る

I Believe…

常に「言行一致」⇒消費者が利益に貢献する活動をし続ける。
この段階では、より好感・信頼できる企業を求めている。だが、まだ“浮気心”がある。

Step4.消費者に愛着を根付かせる

I Love…

革新し続ける⇒企業の心を伝え続ける。
消費者の愛着を獲得する。この段階までくると決して浮気はしない!

以上が良い品物を世の中に浸透させる4つのステップである。

当時は「広告は商品の粗悪さをごまかすためのもの」という古い考えがあった。そんな時代の中でも、森永氏と社員たちが懸命な売り込みを続けた結果が、こんにちの森永製菓に至っている。

だが、今の時代、人に知らせることは、この4つのスッテプの第一段階でしかない。

本当に良い品物を世に送り続けるには、この4つのステップの繰り返しが重要なのだ。

こんな時代だからこそ、本物のものづくりと、それを世に知らしめ、継続して世に送り出すという一連のビジネスについて、改めて考えたい。

山岡孫吉(ヤンマー創業者)

「買う時は頭を下げろ、売る時は胸を張れ」

・管理人の感想

山岡氏は滋賀県の貧しい農家に生まれ、16歳で大阪に奉公に出た。その後、縁あってガスエンジンと出会い、ゴム管などの販売を通して商売に目覚め独立。

ガスエンジンの商売は成功したが、第一次世界大戦の不況もあり、中古エンジンの販売に限界を感じ、石油エンジンの試作に着手。100日間の試行錯誤を経て農業用3馬力石油エンジンを完成させ、「ヤンマー」の商標をつけ販売している。

その後の欧米視察で転機が訪れた。ドイツでマン社の5馬力ディーゼルエンジンと出会ったのだ。ただ、当時、どの工場にも小型のものは見当たらなかった。そこで、山岡氏は自社で世界初の小型3馬力のディーゼルエンジンをつくることを決意する。

「扇風機のモーターと同じくらい小さな、軽いディーゼルができたらどんなに素晴らしいやろ。わしはそれをつくって欲しいのや」

山岡氏は技術陣に無茶な指示をした。だが、本人も連日研究室に泊まり込むほどの情熱を見せた結果、1年5ヶ月に及ぶ苦労ののち、1933年に世界初の小型ディーゼルエンジンが誕生することになった。

この山岡氏の言葉は、現在、日本人が忘れてしまっている精神を思い出させてくれる。

せっかくものづくりをするなら、一生懸命価値あるものをつくって、それに見合った価格をつけて堂々と世界で販売したいものである。