『天才バカボン』『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』などで有名な赤塚不二夫が死去しました。
私も昔、テレビで見ていた作品ばかりです。
日本漫画界の礎を築いたあのトキワ荘が産んだ偉大な漫画家の一人です。
また、忘れてはならないのは、赤塚不二夫といば、あのタモリを世に送り出した張本人でもあるということです。
当時、大分県でボーリング場の支配人をしていたタモリは、ジャズピアニストの山下洋輔たちの招きで東京に来ていまいた。その時、赤塚不二夫たちの居並ぶ居酒屋で一晩中芸を披露したタモリを見て赤塚は「毎晩こいつを見たい。九州へは帰さない」といって、自らは事務所に仮住まいをし、タモリを自宅に居候させ、養っていたそうです。
今のタモリがあるのも赤塚不二夫のおかげと言っても過言ではないと思います。
そんな赤塚不二夫は、このところ、いろいろな病気と闘っていました。その看病をしていた妻の眞知子もくも膜下出血で倒れ、2006年7月12日に56歳の若さで亡くなりました。
赤塚不二夫には、前妻である登茂子との間にりえ子という娘がいます。とても不思議な話しですが、眞知子との結婚は、登茂子が後押をしたそうです。そして、再婚の記者会見に自らも保証人として同席し、話題となりました。
実は、そんな登茂子も赤塚不二夫が亡くなる3日前に死去していたのをご存知でしたか?
娘のりえ子は、母のひつぎの前で別れを惜しんでいる最中に、父の容体急変の連絡を受けたそうです。なにか魂のつながりのようなものすら感じますが、りえ子もかなりの精神的なダメージを受けていると推測します。
以前、りえ子は、父の素顔は常識人で、キャラクターでいうと「めんたまつながりのお巡りさんが一番近い」と話していました。さらに、「意外かもしれないけど、性格は決して天然じゃない。ルールを分かった上で、それをわざと壊しているんです。人を喜ばせよう、楽しませようとするサービス精神が旺盛すぎるだけ。でも、度を超えると人の迷惑になっちゃう。父はいつもお酒を飲んでいたけど、飲まないと人と目を合わせられなかった」と付け加えています。
日本のギャグ漫画の根本を作り出した天才の死去。笑って見送るのがせめてもの礼儀ではないでしょうか。
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