光の道

この年は新たなコミュミケーションツールとしてツイッターがブレークした。政治家、事業家、芸能人などが、皆つぶやき始めた。坂本群馬は、ツイッターで、ある人物と出会い、尊敬すようになった。それは、通信会社ソフトバイクの社長、勝正志である。勝が日本国のために成してきたことは、非常に大きい。この後、日本全国に光回線のインフラが整備されるのだが、勝の役割が大きかったことを忘れてはいけない。

勝はツイッターを上手く活用した。直接届く顧客の声が、勝に刺激を与えていたのだ。サービスを提供する側には思いもよらない意見も届いた。こうした意見が勝の事業家魂に火をつける結果となった。そして、クレームをひとつずつ改善していったのだ。「クレームは天の声」などと言われるが、事業を行うにあたり、クレームを拾うことは重要である。また、勝は「光の道」についても熱いツイートを繰り返していた。

「光の道」とは、日本全国に光回線のインフラを整備するというものである。同時にメタル回線を撤去することによって、維持管理費が削減でき、結果、ADSLより安く光回線をつかえるようにするというものだ。かつては、電気のインフラが整備さて、家電が目覚しい発展を遂げた。光回線のインフラが整えば、その先の可能性は無限なのである。

群馬もこの時、ツイッターを通じて勝からいろいろと学んだ。そして、共に「光の道」を成し遂げる決意を人知れずしていたのだった。

「光の道」が、暗闇から抜け出し、進むべき道だと直感したのだ。

群馬のかつての上司、千藤明から突然連絡を受けたのは、丁度その頃だ。

千藤は、群馬が以前勤めていた会社の副社長だった。千藤と社長は創業当初から三十年苦楽を共にしてきた。会社は順調に売上を伸ばしていたのだが、会社が大きくなるにつれ経営方針に違いが出てきた。そして、社長と対立するようになり、退社へと追い込まれたのだ。その後、会社の経営状態は悪化して、群馬もリストラの対象となってしまった。だが、それがきっかけで起業することになる。

退職後、千藤は飲食店のオーナーになっていた。群馬とは仕事の関係で、時々情報交換をしていた。かつては上司と部下だったが、この頃はフラットな立場での付き合いだった。

その千藤が新しいビジネスを始めるから手伝って欲しいというのだ。それも、なんと、日本最大の通信会社であるNTNTの代理店である。仕事の内容は、光回線の契約をする確率が高い見込み客の情報を流すので、内容説明をし、成約して欲しいというものだった。

千藤の会社、インバイトと群馬の会社、オモパロスの契約は、一件いくらという完全成功報酬だ。悪い話しではないのだが、群馬は迷っていた。どうせなら、志しを共にするソフトバイクの代理店になりたかったのである。NTNTは、「光の道」を進むのもにとって、大きな壁だったので、むしろ敵と言って良かった。安らかな時を過ごしているものは、大きな変化を嫌うものである。

「今のままでいいじゃん」

保身的な心の声が聞こえてきそうだ。だが、今のままでいいわけがない。それが人類の進化というものである。どんなに頑張っても、変化を嫌うものはいずれ淘汰されていくだろう。

勝はこの時、すでに一生楽に暮らせる蓄えもあったし、この先、穏やかに暮らすことも可能だった。だが、日本の未来のために、自ら茨の道、すなわち「光の道」を突き進んだのだ。

この頃、国内の光回線は、NTNTの手中にあった。天下りの高額な役員報酬も光回線の利用者たちが支払っている状態だったので、一向に利用料は下がらない。なにより、メタル回線の維持費が赤字を垂れ流していたのだが、撤去には消極的だった。そんなNTNTの手先になっていいものか悩んでいたのだった。一方、ソフトバイクは、天下りの受け入れを一切拒否しているという点でも健全だ。

千藤は、文無し群ちゃんの状態を知っていた。

「群ちゃんを今回のビジネスに加えてあげたい」

群馬は、千藤がそう言っていたということを千藤の仲間から聞いた。しかも、仕事に必要なものは、すべて千藤が用意してくれるという。経費もすべて千藤持ちだ。そんな気持ちを知ったら、群馬としては感謝こそすれ、断る理由などまったくなかった。こうして、敵でもあるNTNTの傘下に一時、身をおくことになったのだ。勝も群馬もこの時は力不足だったということである。ただ、「光の道」の行く先を考えると群馬には、ある漠然とした違和感が生まれていた。