三姉妹

坂本群馬の長女、美穂は二十歳になった。欧米を中心に海外でモデルや女優として活躍していた。オモパロスグループの芸能事務所、オモパロスプロモーションの中でも成長株だ。美穂の活躍は、群馬の同級生で、事務所の運営を任されている太田美津子のマネージメントによるところが大きい。美津子は前職から海外での経験も豊富で、群馬の期待以上の成果を上げていた。

美穂は、特にヨーロッパでトップモデルとしての地位を築いていた。そこで、群馬は、次のステージに駒を進めることにした。ヨーロッパへの進出を狙う、日本の大手電機メーカーである南柴電機へイメージキャラクターとして、美穂を起用するように持ちかけたのだ。狙いは的中した。この南柴電機の製品は、美穂のイメージとマッチして、大ブレークしたのだ。アジア諸国に押されていたメイド・イン・ジャパン製品だったが、ここへ来て再び注目されるようなった。「カルチャーからエコノミーへの架け橋」というビジネスモデルがひとつの形となった。

美穂は、群馬からこのビジネスモデルのことをいつも聞かされていたので、モデルや女優の仕事をしている時も常に日本製品のセールスウーマンという意識を持っていた。それが、今回の成功へつながったのだろう。この後、ヨーローッパ進出を狙う日本企業からオファーが殺到した。そして、この年のヨーロッパではちょっとしたジャパンブームが巻き起こった。それと共に、インターネットをはじめ、各種メディアに登場する機会が増えたため、一気に美穂の知名度も上がり、人気もさらに高まった。一石二鳥の成果をもたらしたのだ。

次女のあゆみは、十四歳だった。医者になりたいと言っていたが、今は、オペラ歌手としてデビューしていた。美穂が卒業した中高一貫の学校へ通っている。当然、オモパロスプロモーションの所属である。ただ、芸能活動と同時に医者になるための勉強も続けていた。

この頃は、光の道のおかげで、学校の状況も大きく変わっていた。教科書は、厚さ3cmほどの電子端末が一台あるだけなのである。電子書籍なので、音声や映像などの解説もあり、非常に分かりやすい内容になっていた。ノートも同様の端末で、手書きの文字がそのまま保存できるようになっている。年配者の中には、紙媒体への強いこだわりもあったが、この時代の子どもたちにとっては、電子書籍が当たり前だった。

さらに、光の道は医療にも大いに貢献している。個人のカルテはクラウドと呼ばれるサーバー群に存在し、どの病院へいっても最新の情報が見られるようになっている。ゆえに余計な検査などする必要はないのだ。といっても、光学技術も進歩し、各種検査も以前と比べると患者の負担は格段に少なくなっているのだが。また、自宅療養している患者は、電子端末を利用して、自宅にいながら受診することも可能なのである。

付け加えると、この時期には、警備会社が大きい役割を果たしている。建物の警備の他に情報の警備へも進出したのだ。クラウドに蓄積されたありとあらゆる情報は、警備会社によって守られるようになった。光の道は、安心・安全を売りにする警備会社からも新たな事業を生み出したことになる。

三女の美咲は十歳。来年のアイドルデビューに向けて、歌や踊りのレッスンに励んでいた。同時に、姉達と同じ学校を受験するための勉強も怠らなかった。