大震災

記憶に残る株主総会の一ヶ月後・・・。

日本は歴史的な大震災に見舞われた。

地震による被害はもちろんだが、犠牲者の多くは津波によるものであった。その上、津波は被災地沿岸にあった原子力発電所にも容赦なく襲いかかった。ニュースから流れる水素爆発を起こした原発の映像は、国民の不安を一気に煽り、海外では地震よりも津波よりも、むしろ原発に注目が集まっていた。

原発の周囲には、避難指示が出された。そんな中、さらなる放射性物質の拡散を防ぐため、自らの被曝も恐れず作業にあたった電力会社の社員たちには、国中から感謝と期待が注がれた。

このような大きな災害時には現地に行って何かできることはないかと考えがちだが、素人がやたらと現場へ行っても邪魔なだけなのだ。被災者の貴重なスペースや食べ物、飲み物を奪うだけになってしまう。これは災害時の万国共通の認識といって良い。

当然、坂本群馬もそのことは知っていたし、例え原発事故の現場へ行ったとしても何もできないことを知っていた。それゆえに、今の自分に何ができるか考えていたのだ。

経済界からは、いち早く義援金が集まり始めた。大手企業の経営者の中には億単位の寄付をするものもいた。といっても、はやりこのくらいの寄付をするのは創業者かつ経営者である。

税金対策だろうなどと言うものもいたが、群馬は相変わらずだった。
「金なんか持ってる奴が出せばいい」
こう言いながら10億を震災に寄付したのだ。また、この頃、日本一の資産家となっていたソフトバイクの勝正志社長が100億寄付したことは大きな話題となり、携帯電話をソフトバイクに乗り換える人が増えるという現象も起こっていた。

この原発事故以来、脱原発の動きが活発になり、自然エネルギーによる発電へ人々の意識は向かっていった。
今まで資金で困ったことのない電力会社が、補償問題も含め、一転して窮地に立たされるとは、世は正に無常なものだ。
そして、電力不足による計画的な停電が決行され、常にあるのが当たり前だと思っていた電気のあり方について、ひとりひとりが改めて考え直す大きなきっかけとなった。

勝は私産を投じ、自然エネルギーについて研究を進める財団を設立した。一方、群馬は主に、太陽光発電を普及させる活動を中心に行っていた。
(光の道の次は太陽光発電。つくづく光と縁があるな)などと考えながら、政界への呼びかけも行っていた。

後に群馬はこの大震災について良き経営者を育てるオモパロスアカデミアでこう語っている。
「あの時の大震災は、間違った方向へ進もうとする日本の電力会社への天からのメッセージだったと思うのです。そもそも戦争の殺人兵器としても使われていた原子力を使って発電することは、常に危険ととなり合わせでした。ですが、電力会社は絶対安全と言いながら比較的ランニングコストの安い原子力発電所を増やしていこうとしていたのです。そんな時、大震災で原発の危険性を人々は改めて思い知らされることとなりました。あの時にソフトバイクの創業者である勝正志さんが設立した財団は、効率の良い自然エネルギー発電を次々と開発し、数年前に日本の原子力発電所はゼロになりました。私も太陽光発電に関してはずいぶん協力しましたからね(笑)。あなたたちも過去の出来事からいろいろ学ばなくてはいけません。どんなに先を見据えた経営をしていても、予期せぬ災難はふりかかるものです。そんな時こそ、メッセージを感じとるのです。そして、未来の子供たちが安心安全に暮らせる世界を思い浮かべるのです。そうすれば、天が導く道が見えてくるはずですから、あとは迷わず進むのみです!」