アシュタバクラの話と無用の用

昔、インドにジャナカ王という王様がいました。

そして、その家臣にアシュタバクラという者がおりました。

王様から、「これについて、おまえはどう思う?」と聞かれると、アシュタバクラはいつも、「起こることは、すべて最高のことでございます」と答えました。

王様は、そんなアシュタバクラをとても信頼し、いつもそばにおいていたのですが、そのことに嫉妬した他の家臣たちが、アシュタバクラに罠をしかけたのです。

ある日、王様が手に怪我をしました。

悪だくみをした家臣たちが、アシュタバクラのところに行き、「王様が怪我をされたことをどう思う?」と聞きました。

アシュタバクラは答えました。
「起こることは、すべて最高です」

家臣たちは、このことを王様に告げ口しました。
「王様!アシュタバクラは、王様の怪我のことも最高だと言っております」

それを聞いて怒った王様は、アシュタバクラを牢屋に入れました。

その日は狩りの日でした。
王様は他の家臣を連れて狩りに出ました。

王様は、一人で森の奥深くにまで入り、そこで“人食い部族”に捕まってしまいました。その部族は、儀式の時に人を生け贄としてささげ、火あぶりにするのです。

ところが彼らは、火あぶりの直前になって、王様が手に怪我をしていることに気づきました。

傷ものは生け贄にできないので、彼らは王様を放免しました。

無事に帰って来ることができた王様は、すぐにアシュタバクラを牢屋から出して、あやまりました。
「おまえが言ったとおり、わしが手に怪我をしたのは、最高のできごとであった。しかし、そんな大事なことを教えてくれたおまえをわしは牢屋に入れてしまった。そのことを悔やんでいる。どうすれば、この過ちをつぐなえるだろうか?」

すると、アシュタバクラは言いました。
「王様、私はいつも、起こることはすべて最高だと申し上げているではありませんか。もしも、私を牢屋に入れて下さらなかったら、私はいつも狩りでは王様の側から離れないので、いっしょに捕まっていたことでしょう。そして、怪我をしていない私は、生け贄になっていたことでしょう。だから、牢屋に入れていただいて、最高だったのです」

これを聞いて王様は悟りました。
「起こることは、本当にすべて最高なのだ」

以上、アシュタバクラの話は、フェイスブックで野口嘉則さんが紹介しておりました。

私が好きな言葉に「無用の用」というのがありますが、まさにそんな物語だったので引用させていただきました。

自分の身に起こるすべての出来事に無駄はないのです。

例えば、病気や怪我やその他の辛いことなども含め、未来に訪れる素晴らしい出来事につながっているのだと考えて、明るく元気に今ここを生きましょう。

また、なぜ自分にそのようなことが起こっているのか、と考えるくせをつけると進むべき道が見えてきます。

天はみんなにそれぞれの役割を与えてくれているのだと思います。