ばーちゃん

坂本群馬の両親は、共働きのサラリーマンだったので、祖母のタキに育てられたようなもだった。タキはなんとも豪快なばーちゃんで、細かいことは気にしにない。例えば、幼年期に群馬が縁側から落ちても、おかまいなしだった。もっとも、群馬もめげずに、庭を這い回っていたのだが・・・。またある時は、カップやきそばをお湯を捨てないで作ってしまった。
「ばーちゃん、まずい」
「そういえば、お湯を捨てるのを忘れちまったからね。過ぎたことは仕方がない。文句言わずに食べな」
群馬は仕方なく、まずいカップやきそばをたいらげた。

そんなタキであったが、ある時、群馬とこんな会話をしたことがあった。
「群馬よ、男は甲斐性がなけりゃダメだ」
「甲斐性って何、お金持ちのこと?」
「バカ、それはただの守銭奴じゃ」
「じゃあ、甲斐性って何?」
「甲斐性のある男っていうのは、他人や世の中のために、金をどんだけ使っても、まったく金に困らない男のことだ」
「ふ〜ん、そうか〜、ワシもお金をいっぱい使って甲斐性のある男になる」
「ワハハハ、頑張れよ」

タキは群馬を甲斐性のある男に育てようと教育にも熱心だった。だが、当の群馬は何をやっても中途半端で、決して利口な子どもではなかったのだ。

それでも、群馬のために書道の道具や本などを買いに行ってくれていた。群馬もそれが楽しみだった。車の免許をもっていないタキは、どこへ行くにも自転車である。そんなタキを見ていた群馬は(いつか免許をとったら、ばーちゃんを乗せて、いろんなところへ連れていってやろう)と思っていた。

そんなある日、タキが外出先で倒れ、救急車で運ばれた。群馬のために、上物のふでを買いに行っていた時のことだった。その後、詳しい検査の結果、胃がんであることが分った。しかも、もう手術できないほど、進行しているということだ。

そして、父親からタキの余命が半年であることを告げられた。

(あんなに元気だったばーちゃんが・・・)
タキは今まで、大した病気もしたことがなかったので、群馬はそれが信じられたかった。

丁度、群馬が高校受験をする年だった。タキは、自分がそんな状態の中でも群馬の心配ばかりしていた。見舞いに行くと、とても喜んでくれるのだが、いつも気丈に振舞った。
「勉強があるだろうから、早く帰れ」
「もう少し・・・」
群馬は、タキがいなくなることが怖かった。この頃流行った歌で「明日のことなど、誰も分からない」という歌詞があったのだが、このフレーズが妙に群馬の印象に残っている。タキの余命を医者などに決められたくないという想いがあったのだろう。

しばらくして、群馬は書道で賞をもらった。毎年、タキと一緒に書いていたが、この年はひとりで仕上げたものを出展していたのだ。早速、タキに報告するため、病院へ行った。
「ばーちゃん、書道で賞がとれたよ」
「そーか、よかったなー」
「ばーちゃんに買ってもらったふでのおかげだよ」
「いやいや、群馬の実力じゃよ。この調子で勉強も頑張れよ」
群馬は、この時にタキから褒美でもらった一万円をずっと大切に持っている。

そして・・・この年の秋、タキは逝った。まだ、車に乗せてどこへも連れていっていなのに・・・。群馬が初めて人の死というものにふれた15歳の秋だった。