勉強

祖母のタキが亡くなる半年前。

中学三年になった坂本群馬は、市原清介と同じクラスになった。仲良くなるのに、時間はかからなかった。この時期、清介が群馬に与えて影響はとても大きい。群馬には、受験生という自覚がまったくなかったが、清介は、今自分がやることをしっかりと認識していたのだ。そんな清介のマネをして、受験勉強というものをやっと始めることになる。

群馬は、この頃、将来はそこらの工場で働いて、普通に暮らすのだろうと思っていた。高校など、行けるところへ行けばいいと思って、勉強などろくにしていなかったのだ。

清介の影響を受け、なんとなく受験勉強を始めると、群馬の成績は徐々に上がってきた。こうなると、受験勉強も楽しくなる。しばらくすると、清介の尻尾が見えてきた。そして、群馬は清介と同じ高校を受験することを決めたのだった。ただ、清介と違って、群馬は合格ギリギリのラインをさまよっていた。

二人は、勉強の息抜きに、時々、買い物やビリヤードを楽しんだ。こうしたことが、勉強にもいい影響を与えていた。同じ高校に合格するという共通の志しをもった二人は、息抜きすることと同じように、勉強することもまた楽しんでいた。
「昨日の深夜ラジオ聞いた?」
「うん、面白かったな」
夜遅くまで、ラジオを聴きながら勉強し、翌日、ラジオの話しをするのが、日課のようになっていたのだ。群馬は、三年の勉強の他に、サボっていた一・二年の復習もしなくてはいけなかった。勉強方法は単純で、学校が推薦する問題集を独学で解くというスタイルだった。どうしても分らないことをチェックして、翌日、先生や清介に教えてもらった。

自分は何が分らないのかを見いだすことが重要だという考え方がこの時に自然と身についたのだ。

こうして、二人とも無事、希望校に合格した。

群馬の成績の伸び率は、すさまじいものがあった。この神がかり的な学力アップは、この年の秋に亡くなった、祖母タキのチカラを借りていたのかもしれない。

群馬と清介の絆はこの時期に生まれ、生涯途切れることはなかった。

勉強といえば、長女の美穂が幼かった頃、こんなエピソードがある。
「パパ、なぜ、勉強しなくてはいけないの?」
「う〜ん、オチをつけるためかな」
オチとは、お笑いでも使われるが、そもそもの意味は、高いところから低いところへ落ちるということだ。つまり、高学歴というだけで、低いところへ落ちることができるので、余裕が生まれる。目的もなく、勉強するというは、その程度の効果しかない。ただし、志しを持つものは、勉強すら、楽しんでするものなのである。群馬が言いたいのは、そこだった。
「勉強する前に、美穂が大きくなったら、何になりたいかが重要だよ」
「なんで?」
「それが決れば、自分にはどんな勉強が必要か分るし、学ぶことが楽しくなるからね」
「うん、わかった」

また、西国原茂夫元総理の勉強に関するエピソードも面白い。

西国原は、お笑い芸人から地方の知事を経て、国会議員となり、最後には、総理大臣にまでなったという異色の人物だ。

芸人から政治家に転身する前に、某一流大学を受験し、見事合格している。40歳を過ぎてからことである。志しを成し遂げるために、高い学歴が必要だと判断したのだろう。その大学を卒業してから、知事選に立候補したのだ。

「学び始めるのに遅いことなどない」
群馬自身も、こう言って、三十代半ばから文学・心理学・哲学を独学で学んでいった。思い起こせば、群馬の独学人生は、中学三年の時に始まったのだ。

西国原は、議員をやめた後、再びタレントとしてメディアに登場しているが、元総理ということで、発言のひと言ひと言に落ちがついているため、芸人時代よりも、よっぽどウケている。女優の元妻とも復縁し、仲良くやっているようだ。西国原も、群馬に影響を与えた人物の一人である。