決定的な人間関係の亀裂というと、なぜか山城新伍さんのことを思い浮かべます。
ご存じの方も多いと思いますが、2009年に亡くなった故人です。
山城新伍さんは、生前、同じ女性と二度結婚し、二度離婚しています。
子どもは娘さんがいます。
いろいろと女性関係も華やかだったご様子なので、奥さんと娘さんもご苦労されたのでしょう。娘さんも父親との絶縁を宣言し、籍を抜いてしまいました。
山城さんは二度目の離婚後、しばらくして老人ホームに入居するのですが、連絡をしても元妻子が訪れることはなかったそうです。
そして、その応対を恨んだ山城さんは自分の葬儀にふたりを呼ばないように言っていたといいます。
ですが、やっぱり一人は寂しかったのか、後の週刊誌の取材で「娘には会いたい」と話すなど、愛憎反する想いを抱き続けていたことがわかります。
結局、山城さんの実弟や仲間が呼びかけても連絡は一切なく、ふたりが葬儀に参列することも、お別れ会や四十九日に参列することもなかったようです。
恐らく、お互いのほんの少しずつの意地の張り合いや行き違いの積み重ね、または、過去の強烈な恨みなどが、人間関係に決定的な亀裂を入れてしまうのでしょう。
私の知人にも親子関係を絶縁した方がおります。
その方は、一応、親の葬儀には行きましたが、親族としてではなく一般参列だったようです。
理想を言えば、ここまで強い恨みや辛みは、この世から排除すべきだと思うのですが、現実はそうもいかないのでしょう。
私はこのような負の感情が、世の中のゆがみを生んでいると考えています。
なので、私自身は、どんな恨み辛みもなるべく早く忘れて水に流すようにしています。
一方、昔はどうにもならない切ない人間関係の亀裂もいろいろとあったのでしょうね。
樋口一葉の代表作「たけくらべ」をご存じでしょうか?
吉原の遊郭に棲む14歳の少女の初恋を描いています。
主人公の美登利が恋に落ちたのは、やがては大きな寺を継ぐ定めにある跡取り息子・信如です。
ふたりは、段々子どもから大人になるにつれ、お互いの棲む世界の違いを理解しはじめて、距離をとるようになります。
そんな寂しい日々を送る美登利の家の窓に、ある朝、水仙の造花が差さっていました。水仙はふたりの思い出の花です。そして、この日、信如は仏門へと入ったのでした。
結局、素直に気持ちを伝えられず、結ばれずに終わってしまいます。
その後、遊女になってトップまで上り詰めていく美登利ですが、その信如にもらったただひとつの水仙の造花をずっと大事にしているというのがこの物語の核心です。
こんな、ある意味で純粋な日本人(男女を問わず)が、今の時代に存在するのかどうかわかりませんが、人間関係の亀裂には、努力ではどうにもならないものと、ちょっと思考を変えるだけでどうにでもなるものがあるのかもしれません。
もしも、ちょっと思考を変える(器を大きくする)だけでどうにかなるものなら、ぜひ、そうしていただきたいところです。
例えば、この世になんの未練や恨み辛み、心配ごとも残さずに死ねるように、つまらないこだわりを捨てながら生きる努力をすること、また、悔いの残らいよう、心に素直に生きることが必要だと思うのです。
夜遊びの世界でご活躍された山城さんにとっての水仙は存在したのでしょうか。もし、あったとしたら、何だったのでしょう・・・。今となっては知る由もありません。
今更ですが、この場を借りて、ご冥福をお祈り致します。
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