まず、流石はディズニー映画ですね。
全体的なテーマは、「家より大切なもの」というような気がしました。
執事のラムズリーは、グレイシー家を必死で守ろうとしたわけですが、結局はほろんでしまった。
家より大切なものは、愛だったのです。
ご両親に結婚を反対されて、自ら命を絶った友人を思い出してしまいました。
それぞれのキャストが伝えていたメッセージもあったと思います。
ジム・エヴァースは、ワークライフバランス。
息子のマイケルは勇気。
娘のメーガンは賢い子ですが、もう少し可愛げが欲しいですね。
エドワード・グレイシーは永久の愛。過程では、いろいろとありましたが......。
印象に残ったシーンがいくつかありました。
ジムが屋敷の外に出されてしまった時です。中では子どもたちが人質にとられ、妻のサラはラムズリーの策略により永久の愛を見失ったグレイシーと結婚させられそうになっています。
ですが、努力してもなかなか中に入れません。
どうしていいかわからず、途方にくれていたジムのもとに水晶玉のマダム・リオッタが現れて言うのです。
「頑張ったけどダメ。頑張ったけどダメ。2回頑張っただけで諦めるっていうの?」
そう!何事も諦めなければ失敗ないのです。
そして、ジムは、もう一度頑張って、とても大事にしている高級な愛車で屋敷へ突っ込むわけです。
高級車よりも、もっと大切なものが中にはあったわけですね。屋敷に到着した時、車を乱暴に扱った子どもたちを怒っていたのはこのシーンにつながります。
あとは、すべてラムズリーがグレイシー家のためにやったことだとわかり、エドワードが永久に愛したエリザベスの魂がサラに乗り移ったシーンです。
エドワードとサラの身体を借りたエリザベスが遥かな時を超えたキスをします。
ジムは子どもたちに「ママとキスしたわけじゃないから」と言って黙認します。子どもたちは、複雑な心境だったでしょう。
ジムは最後にエドワードから家の権利書を譲り受けますが、例え、グレイシー家がなくなっても、物理的な家というのは頑張った人に受け継がれるということです。
それにしても、エドワードの想いは切ないですね。
長い長い間続いていた、その切なさが、姿かたちの似たエリザベスとサラの区別もできなくさせてしまったのでしょう。
私は、基本的にこの世に強い未練を残して自殺したエドワードのような魂はあるべき場所へ戻れずに、あれに似たような状態になっていると考えています。
本当は自殺ではなく、ラムズリーに殺されていたエリザベスとの永久の愛が、そんなエドワードと屋敷のものたちの魂を本来あるべき場所へ戻してくれたのでしょう。
ホーンテッドマンションというディズニーのホラー映画には、そんなメッセージも込められていたような気がします。
永久の愛。
そんなものが本当にあるのでしょうか?
すくなくともあると信じている人たちがこのような物語を紡ぎ出しているのでしょう。
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