投稿者: beam

十の宿命星と宿命大殺界

かつて一世を風靡した細木数子の六星占術には、十の宿命星というものがある。

十の宿命星は、人生を120年として、10年という長い期間を経て切り替わる。日本人の平均寿命(約80歳)を考えると、ひとつの星の影響を受けるのは、一回のみということになるが、仮に120歳まで生きたとしたら、同じ星が二度廻ってくることもある。

この人生120年の中に、20年だけ宿命大殺界というものがある。例えば、生まれてすぐに宿命大殺界になる人もいれば、青春時代に迎える人もいる。当然、働き盛りの人もいれば、老後に迎える人もいる。仮に100歳からという人は、一度も迎えることなく人生を全うすることもあるだろう。

余談だが、「宿命」と「運命」について述べたいと思う。

宿命とは輪廻転生する魂が影響を受けているもので、奥が深い。一方、運命は、今この世にいる自分のみに影響するものだ。

ゆえに、宿命という土台の上に運命があると言っていい。また、生まれ持った宿命は変わることはないが、運命は変えられるということになる。

なので、きちんと宿命と同じ方向の運命を選択していれば順調な人生になるし、逆ならどんなに頑張っても報われないことになる。

それでは、次回、十の宿命星について説明しよう。

また、以前、「心と体の健康セミナー」という記事の中で、魂の企画書について言及してる。宿命というものは、この魂の企画書と何かしらの関係があるのではないかと今は考えている。ぜひ、合わせてご覧いただきたいコンテンツである。

養蚕業の復活

上毛新聞で富岡製糸や養蚕・シルクに関する作文・論文、写真・映像を募集していた。

そこで、養蚕業の復活という内容で提言分門に応募してみた。

今年の七月のことである。

その結果が先日郵送されてきた。

「残念ながら・・・」という内容だった。

せっかくなので、この場で公開したいと思う。

「養蚕業の復活」など興味ないという方がほとんどだろうが・・・。

養蚕業を食品や化粧品として復活させようという内容である。
⇒ 「養蚕業の復活」PDFファイルのダウンロードはこちら

例えどんなカタチであれ、天の虫である養蚕業の復活は私の夢である。

そのためには、富岡製糸が世界遺産に登録されたことを大いに活用したいものである。



福山雅治「I am a HERO」歌詞と感想

まず、福山雅治「I am a HERO」の歌詞はこちら。

さて、ここから感想。

私は、もともと福山雅治さんの大ファンなので、今回の「 I am a HERO」にもいちいち共感できる。

だが、一番気になったのは、下記の部分。

「なんであいつなんだよ」
って今日もやっかんでる
でも嫉妬こそ努力の根源さ

確かに、やっかみや嫉妬は努力の根源になると思うが、そもそも、本来はそれ自体が無用なのだ。

なぜなら、惜しみない努力とは、もっと崇高な理念に基づいているもののはずだから。

だが、福山雅治があえて「嫉妬こそ努力の根源」と言っているので、逆にリアルである。

例えば、宝くじが当選して思わぬ大金が入ってしまったり、器以上の役職についてしまうなど、たまたま自分の実力以上の金やポジションが手に入ってしまう人がいる。

だが、そんな人たちは、自然と自滅していくものである。

だからこそ、そんな、なんちゃってラッキーな人たちに、やっかむ必要も嫉妬する必要もないのだ。

大事なのは、自分の夢や理想がどこにあるのか。そして、自分自身がそれをしっかり把握しているかどうかである。

もし、嫉妬が恋愛がらみのものなら、あなた自身が、相手を自分に向かせる努力を怠った結果ではないだろうか。

そういえば、今、メディアで活躍している千原ジュニアは、引きこもっていた若かりし頃、テレビの出演者を観ながら、あんなヤツより自分の方が笑いを取れると、やっかんでいたらしい。

自分の実力が世の中から過小評価されていると感じていたのだろう。

現在、メディアで活躍している彼だからこそ、そんなやっかみにも意味がある。

ちなみに、クセもののジュニアを世に出すキッカケとなったのが、兄のせいじだとすると、魂レベルの奥深い話しなるので、割愛することにする。

結局、自分の実力以上の出来事は禍をもたらすし、それを乗り越えれば、実力がつくということである。

逆に、本物の実力者にとっては、世間からの過小評価が、やっかみや嫉妬につながり、さらなる努力の根源になるのかもしれない。

いずれにしても、福山雅治さんくらいのポジションになれば、人生でいっぺんとはいわず、何度でも調子に乗ってもいいと思うが、私のような凡人は、まだまだ調子に乗ることなどありえない。

なので、人生でいっぺんくらい調子に乗れるよう、日々努力していきたいと思う。

そして、最後の歌詞。

10年経ってまだこれ言ってるけど
待たせたな本物に変身するんだ

例えまわりから笑われても何と言われても、本物とは10年でも20年でも何十年でも、夢を追い求め続けられる人なんだと、改めて考えさせられる。

いろいろと踏まえて、現時点の結論を述べると、福山雅治が今なお活躍し続けるのは、彼が自身の過去の栄光に調子づかずに、常に、今ここを一生懸命に生きているからに他ならない。

少なくとも私にとっては、尊敬できるヒーローのひとりである。

最後に余談なるが、いっぺんくらい調子に乗りたいというメッセージは、B’zの「有頂天」にもあった。

他人の何倍も何十倍も努力してるんだから、ちょっとだけ調子に乗って有頂天になってもいいでしょ?ということだ。

常に時代を先どるアーティストのメッセージは、時に似たような内容になる。

繰り返しになるが、我々も自分にできることを一生懸命努力して、ほんの少し調子に乗りたいものである。



人の価値は時価

最近、人の価値は時価だと感じる。

「あの人は昔はあんなだった」とか「あの人は昔はすごかった」と言っても「今はどうなの?」ということである。

例えば、丁稚だった人が大企業の創業者になることだってあるし、かつては一世を風靡した芸能人がメディアから消えることだってある。それに、どんなに素晴らしい肩書がついていたとしても、退職すればただの人だ。

また、「あの人は昔、こんなことを言った」などと以前の発言をいつまでも引きずるのもどうかと思う。良いことも悪いことも含めて。

時間が経てば、その人の状況や周りの環境も変わる。

なので、以前の発言が当てはまらくなることもある。

改めて考えると、はやり一廉の人物とは、いろいろなことを踏まえて超えて、その瞬間瞬間でベストを尽くしているのだ。

そういう生き方をしている人は、過去など関係なく自然と世に出るし、例え、立派な肩書がなくなっても人としての価値が下がることはない。

常に変化する世の中で、自分を進化させる勇気は必要だ。

だが、ひとつ言えるのは、世の中がどんなに変わろうとも、魂が発した言葉は決して変わることはないということ。

変化を楽しむこと、変わらないという安心感、このふたつのバランスが重要だと思う。

今ここをいつも一生懸命に頑張って、人としての価値を向上させたいものである。

おもしろ人事

ある会社でユニークな人事を行っている。

一般企業の部長職に当たる役職を選挙で決めるそうだ。

「上三年にして下を知り、下三日にして上を知る」

こう言われるように、上司は部下のことを理解していないが、部下は上司のことを良く理解しているのである。

だからこそ、部門長は部下が選ぶのが理想的なのだという。

確かに、選んだ部下も選ばれた部長も、このやり方が一番やりやすいと思う。

この人事を導入している社長は次のように言っている。

「私にこびを売るばかりの部下はいなくなるうえ、私が部門長を選ぶ手間もはぶけます」

確かにその通りである。

きっと、社員も働きやすい会社だと想像できる。