投稿者: beam

足利市・太田市近辺の相続・相続税相談

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PC版小滝会計公式サイト

 

小3の娘が詠んだ短歌

小鳥たち
さえずり聞いて
聞きかえす
今来た道の
足あとなるもの


目をとじて
聞いてみるなり
山の声
鳥のがっしょう
川のせせらぎ


庭に咲く
あんずの花を
ながめつつ
恋するおとめの
胸はこがれる


雪がとけ
ともに出てくる
草木の芽
春はもうすぐ
やってくるかな


れんげそう
つんで束ねて
髪かざり
いちりんいちりん
笑顔の花に


ひまわりの
花にむらがる
みつばちの
たかき羽音に
耳はうるおう


クリスマス
くつした下げて
ねがう夜
まくら元には
プレゼントあり

二月の最終日

早いもので、2015年の二月も終わる。

いろいろあって、感慨深い日である。

時々、今までの人生がすべて間違いだったのではないかと思うことがある。

だが、きっとどこからやり直しても、同じ道を歩み、今ここを迎えているだろう。

そうやって生きてきたし、これからも同じだ。

天の導きを見逃さないよう感覚を研ぎ澄まし、また明日から新たな道を歩んで行こう。

ここまできたことへの感謝の気持ちと、未来への希望を胸に。

ソフトバンクとドコモ

新年、明けましておめでとうございます。

今年も、どうぞよろしくお願い致します。

さて、昨年末から準備していたのだが、今年になってソフトバンクを卒業した。

MNP(Mobile Number Portability)で楽天モバイルを利用することにしたのだ。

かつて、ホワイトプランとソフトバンク同士の通話無料で顧客を獲得し、iPhoneの独占契約でさらに利用者を増やしたソフトバンク。

だが、iPhoneを独占できなくなってからは勢いを感じない。

むしろ、いち早くかけ放題のプランを始めたドコモには勢いがある。

パケットを分け合えるプランに魅力を感じる人も多いだろう。

さらに、ドコモは仮想移動体通信事業者:MVNO(Mobile Virtual Network Operator)と積極的に連携していることが大きなポイントだと思う。

ちなみに、楽天モバイルもドコモ系MVNOである。

これから、ソフトバンクユーザーがドコモやMVNOへ流れていくような気がしている。

個人的に尊敬している孫正義さんの元を離れるのは寂しいが、無駄な出費は避けたいのだ。

だが、きっと孫さんのことだから、またソフトバンクに戻ってきたいと思うようなおもしろいことをやってくれると思う。

その時までしばしのお別れである。

そういえば、移行してみて分かった大きな問題があったので公開しておきたい。

ドコモ端末でドコモ系MVNOを利用する場合、テザリングが使えないのだ。

もっと早くわかっていたら、また別の環境を整えたのだが、これから MNPを考えている方は充分注意して欲しい。

また、毎日二時半くらいに「Wi-Fi接続時利用設定エラー」が通知されている。

これもドコモ端末でドコモ系MVNOを利用する際の弊害のようだ。

もしやと思い、ドコモショップで3,240円払ってSIMフリーにしてみたが、状況はまったくかわらなかった。ただの無駄な出費であった。

実際やってみるといろいろと不便なこともあるが、月々の通信費はずいぶん節約できるのは間違いない。

ちなみに、スマホ本体は中古で程度のよさそうなものを約二万で購入した。

富士通のドコモ端末で、指紋認証機能もついている。

カバーもつけてこんな感じにしてみた。

少なくとも二年間はこれでいこうと考えている。それまで生きていればだが・・・

ルフィのスマホケース

MONKY.D.LUFFY

Led by Luffy, the pirates enter the sea lane know as the “Grand Line” and continue their voyage.
Various hardship -from raging storms to powerfull enemies- lie in wait for them, but they continue to fight in hopes of finding the legendary treasure, One Piece.

ルフィ率いる海賊団は、「グランドライン」として知られる海の領域に入って冒険を続けている。
荒れ狂う嵐から強力な敵たちなど様々な困難が彼らを待ち受けているが、彼らは伝説の秘宝ワンピースを探し当てることを信じて戦い続けているのである。

あなたに褒められたくて

小田先生にも、そのお姉さんにも、その後一度もお会いしてません。

俳優になって、何年かして、新しい映画のキャンペーンなどで、福岡へ帰ったとき、試写会へご招待したいとかいって、お会いしたいと思い、連絡をとってみましたが、お二方とも異口同音に、

「もう、おばあちゃんですから。昔のイメージのまま、覚えていただいた方が・・・・・」

と、出てらっしゃらないですよね。

お会いしたいなあと思ってるんですが・・・・・。

「小田先生のこと」より

小田先生は高倉健さんの小学校二年生のときの担任で、初めて異性を意識した女性。

そのお姉さんとは、高校時代のバイト先に勤めていた年上の女性で初恋のお相手。

いずれにしても、これが女性の心理なのだろう。

だが、高倉健さんがもしこの二人に会えたとしたら、お世辞でもなんでもなく「お変わりありませんね」なんて言うのかもしれない。


三十回目のお詣りをして、心の区切りがついた。1990年からは、もうこれからは行けるときに行こう、心の流れにまかせて自然体であろうと自分に納得させた。

三十年間のお詣りで仏様にいうことはいつも同じだったような気がする。

「昨年中は有難うございました。こんなに気ままに生きて、昨年はまたしかじかの人の心を傷つけてしまいまいした。反省します」と手を合わせる。

何か頼んだ覚えは一度もない。これからも同じことを祈り続けると思っている。

しかし、よく考えてみれば、その時々、一番気に入っている人の名を挙げ、その人になんとかご加護を与えてください、と祈っている。頼みごとはしない、などと言いながら、やはりお願いをしているじゃないか。

気になっている人はもう年中変わってるから、気が多いんですね。

「善光寺詣り」より

高倉健さんは、どんなに忙しくても、三十年間善光寺へのお詣りを欠かさなかった。海外で撮影しているときも時間調整をして戻ってきてお詣りしている。

以前、神社やお寺へお詣りする際や自宅の仏壇に線香をあげるときには、お願いごとをするのではなく、感謝と報告をするのが本来の目的なのだと聞いたことがある。

それ以来、私自身もそのようにしているが、高倉健さんは、ずっと前からそうしていたということだ。

また、自分のことより気になっている人のご加護を願うところにも大変共感できる。

この項目では、なぜ、善光寺なのかということにも言及している。高倉健さんの先祖に小田宅子(おだいえこ)という女性がいた。

宅子は150年以上も前に九州から善光寺へお詣りに行っていて、その行程が「東路日記」として残っている。そのことを知った高倉健さんは、自分が善光寺へ惹かれ続けれることに「血」を感じて納得している。

「血」という流れで、高倉健さんの家系のルーツは北条篤時という人物であることがわかっている。

新田義貞の鎌倉攻めの時、東勝寺で自害した北条氏の中のひとりである。

新田義貞は私の地元出身で、上毛かるたにも登場し、子どもの頃から身近に感じていた人物なので、なんとも複雑な思いがした。また、いろいろ調べているうちに鎌倉時代から室町時代にかけての歴史の勉強にもなった。

いずれにしても、強い想いには感覚が強く影響していて、何か霊的なものも絡んでいるのだと思う。特に、歴史を動かすような決断は、とても計算ではできない。それはきっと、感覚が重要な要素なのだ。


要するに思いが入っていないのに思いが入っているようにやろうとするから具合が悪いので、本当に思いが入っているのに、入っていない素振りをするところが格好いいのかもわかんないですね。

「お心入れ」より

ホンモノ同士は、言葉がなくても通じ合えるのだと思う。言葉がないと通じ合えないということは、どちらかがニセモノなのだろう。

だが、特に男女の関係においては、言葉なくして想いを伝えるのはむずかしい。

言葉にしなくても伝わるほど、強い想いを込められるのがホンモノの証しなのかもしれない。例え、伝わることがなくても、それはそれで仕方がない。不器用な人間は、ただひたすら想うしかないのだ。


そういうことなんですね。
自分でもどうにもできない心。
―――人を想うということは。

「愛するということは、その人と自分の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います」

『幸せの黄色いハンカチ』の北海道ロケ中に、 ぼくが、山田洋次監督に、愛するということはどういうことでしょうかと、その質問に対する答えでした。

「ウサギの御守り」より

これは、高倉健さんが、ある人から海外のお土産で、ウサギの御守りをいただいたというお話だ。

皮革屋でその御守り専用のカバーまで作って、いつも使っているカバンに取りつけた。

いつも身近なところに置いておきたかったのだ。

例え逢えなくても、連絡さえできなくても、変わらない想いがある。

高倉健さんにとってウサギの女性への想いがそうだった。

一緒に世界中を旅したウサギの御守りが、高倉健さんの想いを不変のものにしていたのだろう。

だが、1990年の7月、映画祭で中国へ行ったときに、その、想いのいっぱい詰まった大事な御守りを失くしてしまった。

懸賞金をつけてまで捜してほしい御守りだったが、結局、出てこなかった。

ここで、上記の内容へとつながるわけだ。

その後、高倉健さんの想いがどうなったかは、もはや知る由もない。


別れって哀しいですね。

いつも――― 。

どんな別れでもいつも――― 。

あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。

「あなたに褒められたくて」より

これは、この本のタイトルにもなっている高倉健さんの亡き母親への想いや思い出がつづられた項目だ。

高倉健さんは母親の遺骨をかじったという話しもある。

ここから少し横道にそれるが、以前、母親を亡くしたという人と話す機会があった。

その人は、他県に住んでいるのだが、週に何度か帰ってきては、母親の介護をしていた。すでに痴呆症にもなっていたという。

亡くなるまで、一生懸命介護をしたが、自分の親不孝を悔やんでいた。

私は、その方に「一番何をしてあげたかったですか?」と尋ねてみた。

「もっとたくさん話したかった」という答えだった。

介護しているときは、すでに痴呆症だったため、その前に何気ないことでいいからもっと親子の会話をしておけばよかったということだ。それが一番の親孝行になったと思うと言っていた。

きっと、本当の親孝行とはそんな些細なことなのかもしれない。

幸い、私の場合、両親が近くにいるので、最近はなるべく顔を出して、些細な親孝行をするように心がけている。

というか、恥ずかしながら、未だにそれくらいのことしかできないのが事実なのだが・・・。

なにはともあれ、両親がまだ健全なうちに褒めてもらえるように、今ここを一生懸命に生きていこうと改めて思う今日この頃である。


以上、高倉健の「あなたに褒められたくて」より私にとって印象深かったところを抜粋してみた。

「高倉健インタヴューズ」を電子書籍で読んだという話しをしたら、今一緒に仕事をしている方がこの本を貸してくれたのだ。

高倉健というと「不器用」という印象が強いと思うが、私は「不変」ということを強く感じた。

時間では変わらない想いを持てるひとなのだと思う。「ウサギの御守り」の中で「自分の想いはタイムカプセルにでも入ったように変わらない」といっている。それが高倉健を美しくしている秘訣なのだろう。

そう考えると、なんだか10年20年30年という年月が短く思えてくる。

人生、たかだか80年。

目まぐるしく変わっていく時代の中で、進化するべきことと変わってはいけないことをしっかりと見極めて、生きていかなければいけないということを高倉健から学んだような気がする。

また、「兆治さんへの花」では、元プロ野球選手の村田兆治とのエピソードが語られている。偶然目にした生放送での最後の挨拶。これに天命を感じ、村田兆治の自宅へ手紙と花束を届けるという内容だ。

この一瞬を大事にするという感性と行動力は、すごいとしかいいようがない。

余談だが、VTRではなくて生放送だからこそ、一瞬のエネルギーみたいなものが伝わるのだろう。

いずれにしても、変わらない持久力と一瞬で変わる瞬発力を合わせ持つのが高倉健というひとなのだ。

久しぶりに良き本に巡り合えた。

ありがとうございました。