君が何者かだって?
本気で世界平和を願っているようだけど、所詮はただの「ひと」だよ。
できることをコツコツと積み重ねれば良いではないか。
向かうべき場所は間違っていないのだから。
そう、ただ黙々と、ただひたすらに。
君が何者かだって?
本気で世界平和を願っているようだけど、所詮はただの「ひと」だよ。
できることをコツコツと積み重ねれば良いではないか。
向かうべき場所は間違っていないのだから。
そう、ただ黙々と、ただひたすらに。
エライひとには、大いなる決断力がある。
エライひとには、実務家を動かす魅力がある。
エライひとには、日銭を稼ぐ現場を上手にマネジメントする能力がある。
逆に、あなた自身がエライ立場だったらどうだろう。
重要な決断はできるだろうか。。。
実務家を動かす魅力を持っているだろうか。。。
日銭を稼ぐ現場をしっかりマネジメントできているだろうか。。。
ちなみに、私は、上場企業の元役員に方に、マネジメントとは何かと尋ねたことがある。
その方は、「マネジメントとは哲学」とおっしゃっていた。
私自身も、おっしゃる通りだと思った。
一言で片づけるのは少々乱暴かもしれないが、要するにマネジメントするには、いろいろな知識や経験が必要だということだ。
さてさて、残念ながら、血筋やら偶然が重なって、エライひとを演じているだけの人もいる。
もし、本人にその自覚があるのなら、その立場を適任者に譲るのも一法だろう。
実際に、ホンモノのエライひととは、まわりが自然とそういう立場にしてくれるものである。
例えば、昔から座る場所には上座と下座がある。
上座とは、概ね入口から一番遠い奥の席だ。
要するに、「入口付近の雑用は我々下座でやりますから、どうか奥の席にお座りくださいませ」ということなのだろう。
だが、たまたまそんなことも知らずに上座に座った人がいても、ホンモノのエライひとは、そんな細かいことにこだわるだろうか。
少なくとも、私は、そうは思わない。
実際、私自身も以前は、座る場所などそれほど意識していなかった。
だが、最近は、そう言った席順も少しは気にするにようなった。
そう考えると、ホンモノのエライひとは、周りから自然と上座に座らされているものである。
では、どういう人が上座にいるかというと、しょうもない地位や名誉にこだわるのではなく、夢や理想をしっかり持っている人なのだと思う。
だが、夢や理想と地位や名誉のバランスをとるのは難しい。
もしも、地位や名誉を得るためにメッキで加工したとしても、所詮、そんなものは、すぐに剥がれてしまう。
逆に、夢や理想という原石があったとしても、苦労して磨かなければ輝くことはない。
楽(らく)しては、何も成せないということである。
いずれにしても、ひとつだけ確実に言えることは、やはり、夢や理想がないと何事も始まらないということだ。
原石をしっかり持っている人は磨く努力をしなくてはいけないし、メッキ加工している人は、原石探しからやり直すしかない。
ヘタにメッキで加工した分、夢や理想・地位や名誉など、何も持っていない人より、やり直すのは難しいかもしれないが、手遅れになる前に自らメッキを剝がしてみてはどうだろうか。
もしかしたら、本当にやりたい事や成すべき事が見えてくるかもしれない。
どうせ努力をするなら、メッキ加工するより、まずは原石ありきで、それを磨いたほうが、絶対的に楽(たの)しいはずである。
※楽(らく)と楽(たの)しいは、同じ漢字でも意味が異なる。仕事とは決して楽ではない。だが、楽しみたいものである。
アメリカは、二大政党で成り立っている。
ご存知の通り、オバマ前大統領は民主党で現トランプ大統領は共和党。
物事をいろいろな角度で見るためにも、二大政党制は必要だと考える。
だた、グローバリゼーションの波を考えると、例えアメリカといえども、一国ではどうにもならい。
TPPの件もそうだが、トランプ大統領は、時代の大きな波に半ば強引に逆らっているように思う。
バランスをとるための二大政党制なので、トランプ大統領のリーダーシップはアメリカにとって必要であったのだろう。
だが、世界が良くなるためのワンステップであって、それほど長い時間は必要ない気がしている。
ほとんど年賀状だけの付き合いになっていた岐阜の友人に、昨年、久しぶりに会いに行った時、ジビエという言葉を初めて耳にした。
ジビエとは、狩猟で食材として捕獲された野生の鳥獣のことらしい。
昼食に、そばをごちそうになったのだが、そこの店主が敷地内にジビエ料理のお店をオープンしたということだった。
しかも、そのジビエは、店主が自ら近くの山で狩猟したものだそう。
何とも粋なことをする。
今度は、そばのお礼も兼ねてジビエの店で友人にご馳走したいと思う。
もちろん、ワインでも吞みながら。。。
店主の狩猟武勇伝なんかも聞けたら最高だろう。
実現するまで、お互いに元気でいたいものである。
北関東自動車道を太田・桐生インターから乗って西(高崎JCT方面)へ向かうとすぐ、左側に謎の石盤が目に入ってくる。
ずっと、気になっていた。
それは、畑の真ん中で不自然に並んでいる。
まるで古代遺跡のようである。
想像は、どんどん膨らむ。
ワンピースで言ったら、ポーネグリフのようなものではないだろうか。
もしかしたら、世紀の大発見?
そこで、
昨日、確かめに行ってみた。
・・・
なんのことはない。
ただのコンクリートの廃材であった。
日ごろ、気になっていることは誰にでもあると思う。
「いつか確かめよう」「いつかやってみよう」
ただ、その「いつか」は、いつ来るのだろうか。
私は、最近、そう考えるようにしている。
なので、わざわざ時間を創って、謎の石盤を確かめに行ったわけである。
気になり始めてから、すでに数週間は経ってしまったが。。。
「今ここ」
今日から新しく追加したカテゴリー。
常に今ここを一生懸命に生きたいものである。
ちなみに、北関東自動車道を西へ進むと、謎の石盤の先には、やけに目立つ大鳥居がある。
これは、伊勢崎市にある小泉稲荷神社の大鳥居であるが、こちらは伏見稲荷大社のように鳥居が並んでいる神社である。
そこまでは、ネットで検索すればすぐに分かることだが、実物を拝見したことはない。
そこで、本日は、いつかは参拝したいと思っていた小泉稲荷神社まで足を運んでみた。
人生最期の日を迎えた時の心残りをまた一つ片づけたような気がしているが、今度は京都の伏見稲荷大社を参拝したいと思う今日この頃である。