カテゴリー: 名経営者が残したあの言葉

森村市左衛門(森村グループ創始者)

「よしや、やり損じても、また儲けなくても、国家のためになることならば、ドシドシやってみるがよかろう。自己を犠牲にしても、国家将来のため、社会人類のために働くという覚悟は、事業を成す秘訣であると私は断言する」

・管理人の感想

森村市左衛門は13歳で見習奉公に出ているが、生来虚弱体質であり、わずか3年で実家に帰っている。

しかし、精神は強靭で「われも貧乏の子だが、六根を清浄にし、正しき道を踏み行なわば思う事成就せずという事なし」と心に誓って中津藩の御用商人となる。

森村氏は、その時に出会った福沢諭吉との交流を通して「国家のために外国貿易を行い外国の金を取って日本の金を殖やす」ことの大切さを知り、現在のノリタケや日本ガイシ、TOTO、INAXといった陶業メーカーの基礎を築いた人物である。

今の時代、金儲けが上手なだけの創業社長で、上場してしまう人もいる。

つまり、夢や理想を持たないまま、勢いだけでも、そこまで行けるということだ。

だが、そんな人たちは、そこで必ず壁にぶち当たる。

規模はどうあれ、夢や理想を持った経営者は強い。

逆に夢や理想のない経営者は会社をつぶすか別の人に任せるしかない。

どんなにまわりに素晴らしい人がたくさんいても、ビジネスはひとを超えないのだ。

例えば、ソフトバンクは孫正義を超えないし、ジェイアイエヌは田中仁を超えない。

つまり、経営者の器を超える企業は存在しないということである。

現代は資本主義。

金儲けに夢や理想がついてくるのか、夢や理想に金儲けがついてくるのか、それはケースバイケースなのだと思う。

もしかしたら、個人の生まれ持っての宿命や資質なども影響しているのかもしれない。

きっと、うまく両者のバランスが取れた者だけが、世に出て未来を創る事業家となれるのだろう。

とにかく一番大事なのは、素直さと変化を恐れず進化することへの覚悟と、何と言っても本人の努力である。

夢や理想がある人もない人も、この世の中で自分に与えらえれた役割をきっちりと果たすため、一生懸命努力しなくてはいけないのだと思う。

そして、せっかくこの時代のこの世に生まれたのだから、自分の夢や理想をしっかりと確立して、今ここを生きたいものである。

森永太一郎(森永製菓創業者)

「どんなに良い品物でも、人に知られなくては売れないんだよ」

・管理人の感想

今の時代、品物を世に知らしめる方法はいくらでもある。時は廻り、今は、まず良い品物をつくらなければいけない時期になっている気がする。

そして、大前提である本物と呼べる品物が完成したら、次の4つのステップが重要になる。

Step1.まずは知ってもらう

I Know…

重要なことは、実態を伝えること。実態が伝えるに足る内容になっていることが先決。
知名度獲得=発信量の多さ、頻度など提供する情報の多さで決まる。

Step2.好感を持ってもらう

I Like…

有言(発言)実行(活動)の認知。消費者が好感を持ち、利益に貢献する活動を起こす。
重要なことは「言行一致」を消費者に納得させる“質”である。

Step3.消費者の信頼を勝ち取る

I Believe…

常に「言行一致」⇒消費者が利益に貢献する活動をし続ける。
この段階では、より好感・信頼できる企業を求めている。だが、まだ“浮気心”がある。

Step4.消費者に愛着を根付かせる

I Love…

革新し続ける⇒企業の心を伝え続ける。
消費者の愛着を獲得する。この段階までくると決して浮気はしない!

以上が良い品物を世の中に浸透させる4つのステップである。

当時は「広告は商品の粗悪さをごまかすためのもの」という古い考えがあった。そんな時代の中でも、森永氏と社員たちが懸命な売り込みを続けた結果が、こんにちの森永製菓に至っている。

だが、今の時代、人に知らせることは、この4つのスッテプの第一段階でしかない。

本当に良い品物を世に送り続けるには、この4つのステップの繰り返しが重要なのだ。

こんな時代だからこそ、本物のものづくりと、それを世に知らしめ、継続して世に送り出すという一連のビジネスについて、改めて考えたい。

山岡孫吉(ヤンマー創業者)

「買う時は頭を下げろ、売る時は胸を張れ」

・管理人の感想

山岡氏は滋賀県の貧しい農家に生まれ、16歳で大阪に奉公に出た。その後、縁あってガスエンジンと出会い、ゴム管などの販売を通して商売に目覚め独立。

ガスエンジンの商売は成功したが、第一次世界大戦の不況もあり、中古エンジンの販売に限界を感じ、石油エンジンの試作に着手。100日間の試行錯誤を経て農業用3馬力石油エンジンを完成させ、「ヤンマー」の商標をつけ販売している。

その後の欧米視察で転機が訪れた。ドイツでマン社の5馬力ディーゼルエンジンと出会ったのだ。ただ、当時、どの工場にも小型のものは見当たらなかった。そこで、山岡氏は自社で世界初の小型3馬力のディーゼルエンジンをつくることを決意する。

「扇風機のモーターと同じくらい小さな、軽いディーゼルができたらどんなに素晴らしいやろ。わしはそれをつくって欲しいのや」

山岡氏は技術陣に無茶な指示をした。だが、本人も連日研究室に泊まり込むほどの情熱を見せた結果、1年5ヶ月に及ぶ苦労ののち、1933年に世界初の小型ディーゼルエンジンが誕生することになった。

この山岡氏の言葉は、現在、日本人が忘れてしまっている精神を思い出させてくれる。

せっかくものづくりをするなら、一生懸命価値あるものをつくって、それに見合った価格をつけて堂々と世界で販売したいものである。

鈴木道雄(スズキ創業者)

「人がやってからでは遅い。誰もやらないうちにやらなければならない。人がいない、技術がない、資金がないと言っていたら事業はできない。自分が一人で商売を始めた時もそうだった。それでもこれだけの会社ができた。その時の状況に比べれば、今の方がはるかに恵まれている。だから私は自動車開発をやめない」

・管理人の感想

鈴木氏は1887年に静岡県浜松市で生まれ、1909年に「鈴木式織機製作所」を設立した。織機だけでは、いずれ限界が来るのを感じ、1930年代に一度自動車の開発に挑戦しているが断念。その後、1951年バイクの製造に着手し、1953年発売の「ダイヤモンドフリー号」で大成功を収め、翌1954年、本格的に小型自動車の開発を始めた。試作車すらない段階で社名を「鈴木自動車工業」に改称している。これはその頃の言葉である。

「恵まれている」という言葉には、このような背景がある。

さて、現代はものが溢れている。今、誰もやらないことをやるのは、昔以上にむずかしい。

だが、こんな時代だからこそ、新しいものづくりに情熱を燃やさなくてはならないのかもしれない。

長瀬富郎(花王創業者)

「人は幸運ならざれば非常の立身は至難と知るべし、運は即ち天佑なり、天佑は常に道を正して待つべし」

・管理人の感想

立身するには幸運が必要。幸運には天の助けが必要。天の助けをいただくには常に正しくなくてはならい。つまり、常に正しく生きることが、立身の最低条件である。

この言葉の意味はこういうことだと思う。

さらに、言及すると、長瀬さん自身も一度、米相場で失敗している。そんな失敗でさえも幸運と考えることができないと、非常な立身はあり得ない。