カテゴリー: 今ここ

七夕の次の日とパイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド

昨日、織姫と彦星は、無事に再会できただろうか。

一年に一度だけの再会。

二人は、この日のために日々、努力しているのだろう。

そういえば、確かパイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンドでは「海で10年、陸で1日」というメッセージで終わった。

その時、まっさきに七夕を思い浮かべたものだ。

そして、エリザベスとウィルの10年に比べれば、織姫と彦星の1年などは、かわいいものだと感じたのを覚えている。

どちらにしても、魂の底から愛しいと想うひとと、たったの一日、幸せなときを過ごすために、1年なり10年なりを努力する。

例えば、幸せとは、そんなものではないだろうか。

もしかしたら、人生でそんな日が、たったの一日もないひともいるかもしれないと考えると、一日あるだけでも幸せなのかもしれない。

今日は、2017年、七夕の次の日。

織姫と彦星の物語から推測すると、昨日の幸せなひとときの余韻にひたりつつ、いつもの日常を向かえているはずである。

きっとふたりにとっては、来年再会するための努力が始まるのだろう。

そんなことを考えながら、今ここを過ごしている。

・・・

さて、さて、パイレーツ・オブ・カリビアンの最新作「最後の海賊」が日本でも公開になったという。

興味がある方は、劇場まで足を運んでみてはいかがだろうか。

楽しい仕事と楽な作業と将来のものづくり

もう十年以上前、尊敬している当時の上司と新しい事業を立ち上げた時の話しである。

元々DTP関係の小さな会社にいた経験のある私は、「事業メンバーの名刺なら私にも作れます」と提案した。

だが、上司は「それは、仕事ではなく作業になってしまうので、外注しましょう」とおっしゃっていた。

当時の私は、経費削減にもなるし、そのくらいの作業なら楽にできるのにと思ったのと同時に、仕事と作業の違いって何だろうという疑問がわいた。

それには、いろいろなご意見もあるだろうが、私自身も十年以上もかけてある結論に達した。

なので、ここで紹介したいと思う。

作業というのは、「できるかできないか」が判断基準で、仕事というのは、「やりたいかやりたくないか」が判断基準ということだ。

できる作業を増やすには努力や経験が必要だろうが、一度できるようになってしまえば、作業を続けるというのは楽なことなのだ。

だが、その楽な作業ができる人を育て、自らは新たな事を成すための準備をする。

それが、仕事なのだと思う。

ゆえに、仕事は、決して楽ではない。

なので、自らが楽しまないと、長続きはしないだろう。

また、実際に、資本主義の仕組みを考えても、仕事をしている人と作業をしている人では、収入に差が生まれるのも当然である。

もしも、生活費を稼ぐためだけの今の作業に苦痛を感じている方がいるなら、あなたの努力の方向が間違えているということだ。

もっと自分に合った作業を探すか、やり甲斐のある仕事を見つける努力をするかのどちらかしかない。

例えば、ある現場の作業員は、「あの公園は俺が造った」と言う。

その現場の監督やその会社の社長は、「あの公園は僕が造った」と言う。

さらには、その公園が公共のものなら、市長や知事も、「あの公園は私が造った」と言う。

みんなが、それぞれの立場で、ものづくりをしている。

今の自分の立場に満足しているならそれでいいが、もっと大きな仕事がしたければ、それなりのポジションにつく努力が必要だろう。

いずれしても、人々が暮らしやすくなる良きものをつくりたいという想いは、そこに携わる人がみんな持っていなくてはならない。

話を戻すと、先ほどの例えで出てきた公園だが、そんな立派な公園を造る「ひとたち」を創るのが、実は教育である。

ものづくりはひとづくりと言われるが、その根底には教育があると考えている。

なので、良いものを造っている企業には、必ずと言っていいほど、しっかりとした教育システムが存在している。

ただ、人口が減少している日本では、あらゆる物事が自動化しているのも事実だ。

あるいは、自動化が進んだから人口が減少しているのか。

どちらにしても、そのうち、いろいろなものがAIとロボットでつくられる時代がくるだろう。

それどころか、これからの人類はAIに教育されるようになるかもしれない。

そうなったら我々人類は、何をすれば良いのだろうか。

すでにチェスや囲碁で、AIは人類を超えたのも事実だ。

そうなると、例えば、アートの領域が最後の砦なのだろうが、それすらもロボットアーティストに取って代わる日がくるかもしれない。

そんなことを考えながら、少し寂しい気持ちになっている今日この頃である。

・・・

ところで、最近、あまり日本では耳にしない「ヒアリ」が話題になっている。

「壁に耳あり障子に目あり、恐ろしいのは港のヒアリ」

・・・

何はともあれ、今まで日本にはいなかった毒アリが、兵庫と愛知の港で発見されたようなので、我々日本人も、これからはヒアリと上手く付き合っていかなかればならないだろう。

とりあえず、港付近の方は、最低限の知識を身につけて、十分にご注意いただきたい。

おあとがよろしいかよろしくないかは別として、今日はこの辺で。

自戒の念を込めて、今ここを何より大事にしたい。

ありがとうございました。

とんねるず(みなさんのおかげでした)のギャラと今後の進退

6月末でフジテレビ会長の座を退き、代表権のない取締役相談役に就くことになった日枝久氏(79)だが、今後の動向が注目されている。

放送記者が話す。

「先日、決算説明会で久しぶりに公の場に出てきた日枝氏は、『これまでも執行上のことは社長に任せ、指示したことはない。今後も新会長、社長をバックアップするだけ』と話していました。

ただ、1988年の社長就任以来、30年近く“フジテレビのドン”だっただけに、今後も“院政”という形で影響力を持つのでは、という見方も根強くある」

フジのベテラン社員は次のように指摘する。

「亀山(千広)社長(60)が更迭されBSフジ社長になることで、ズタズタだったドラマは“亀山案件”がなくなり、自由なスタンスで作れるようになると思います。一方、本当に日枝さんの影響力がなくなるのかは分かりません。“リトマス試験紙”になるのは『とんねるずのみなさんのおかげでした』でしょう」

テレビ誌記者が解説する。

「『みなさんのおかげでした』は、マンネリ化に加え2人の人気も落ちて、視聴率はヒトケタが続き、5%程度のときも少なくない。2人合わせて1本700万円とも言われるギャラもネックでした。ここ数年はフジ内部からも『もう打ち切った方がいい』という声は聞こえていました」

それが、今も続いているのにはワケがある。

「日枝氏が編成局長時代に『夕やけニャンニャン』でとんねるずがブレーク。社長時代に『みなさんのおかげです』で高視聴率を叩き出し、フジ黄金期に大きく貢献した。以来、とんねるずの番組は“日枝物件”と呼ばれ、特に石橋貴明(55)とは食事やゴルフに行く仲です。亀山社長はタモリ(71)の『笑っていいとも!』は打ち切りにできても、とんねるずはついに切れなかった」(芸能デスク)

バトンは新社長に就任する宮内正喜氏(73)に渡された。

「宮内氏が最初に手掛けなければならないのが番組の見直しです。第1弾となる10月の番組改編で、低迷久しい『みなさんのおかげでした』の打ち切りが発表されれば、本当に日枝氏の院政はないことが分かります」(同前)

“リトマス試験紙”にはどちらの色が出るのか。

ここまでは、2017年5月28日付のニュース記事を引用した。

日枝さんといえば、ホリエモンこと堀江貴文氏が、フジテレビ買収の騒ぎを起こしたころが懐かしい。

ライブドア時代、フジテレビも球団も手に入れることができずに、粉飾決算で檻に入れられたホリエモン。

日枝さんも、当時、実際に球団を手に入れたソフトバンクの孫正義さんも楽天の三木谷さんも、彼より一枚も二枚もうわてであった。

その辺りのことは、話すと長くなるので割愛させていただく。

ところで、檻から戻ってからも、ちょこちょこメディアに登場しているホリエモンの最新本「多動力」が売れているらしい。

私自身は、読む気もないが、とりあえず、世間一般の情報として紹介だけはさせていただく。

彼も今のところ大したことは成せなかったが、ある意味、一時代の犠牲者だったと思う。

そう考えると、同世代の人物が、良いか悪いかは別として世の中を変えようと努力しているという点では、応援したいところである。

おそらく、個人差はあるだろうが、上記の本「多動力」が役に立つ世代があるだろうなと考えている。

さて、話しを戻すと「みなさんのおかげです」の時代。

若かりし頃の私自身も毎週楽しみに観ていたが、、、当時は当時、今は今。

まさに、実情は、引用した記事の通りだと感じたので、ここで紹介することにした。

とんねるずさん、今までありがとうございました。

確かに、あなた方が、この国に与えた影響は大きかった。

だが、この辺が限界ではないだろうか。

ギャラは落として欲しくないので、後輩に居場所を譲るのも一法である。

ちなみに、ギャラの内訳は、石橋400万、木梨300万くらいではないかと想像している。

石橋貴明は、事務所(アライバル)の代表取締役でもあるのだ。

余談だが、大リーグのイチロー選手にも同じことがいえる。

かつての、いちファンとして、キレイな引き際を期待したいところである。

母の日に菊の花

今日は2017年の母の日。

日本では母の日というとカーネーションが定番だが、最近では菊を送る人もいるらしい。

お母さん(Mom)と菊(Mum)でマムという発音が似ているため、オーストラリアでは定番なのだそうだ。

なので、本日、菊の入ったちょっとした花束(多分仏壇用)を買ったのだが、店員さんが気を使ってくれたのか「ちょっとこの辺の花が元気がないので」と言って母の日用のカーネーションが2本くらい入った小さな花束をサービスでつけてくれた。

もしかしたら、母の日用の花束を買いに来て、間違えて仏壇用の花束を買ってしまった残念な人だと思われたのかもしれない。

・・・

なんだかちょっと気恥ずかしい気もするが、そんな店員さんの気配りが、ありがたくてうれしかった今日この頃である。

さて、とにかく、今日は母の日。

日ごろの感謝を何かしらカタチにしてみてはどうだろう。

エライひと

エライひとには、大いなる決断力がある。

エライひとには、実務家を動かす魅力がある。

エライひとには、日銭を稼ぐ現場を上手にマネジメントする能力がある。

逆に、あなた自身がエライ立場だったらどうだろう。

重要な決断はできるだろうか。。。

実務家を動かす魅力を持っているだろうか。。。

日銭を稼ぐ現場をしっかりマネジメントできているだろうか。。。

ちなみに、私は、上場企業の元役員に方に、マネジメントとは何かと尋ねたことがある。

その方は、「マネジメントとは哲学」とおっしゃっていた。

私自身も、おっしゃる通りだと思った。

一言で片づけるのは少々乱暴かもしれないが、要するにマネジメントするには、いろいろな知識や経験が必要だということだ。

さてさて、残念ながら、血筋やら偶然が重なって、エライひとを演じているだけの人もいる。

もし、本人にその自覚があるのなら、その立場を適任者に譲るのも一法だろう。

実際に、ホンモノのエライひととは、まわりが自然とそういう立場にしてくれるものである。

例えば、昔から座る場所には上座と下座がある。

上座とは、概ね入口から一番遠い奥の席だ。

要するに、「入口付近の雑用は我々下座でやりますから、どうか奥の席にお座りくださいませ」ということなのだろう。

だが、たまたまそんなことも知らずに上座に座った人がいても、ホンモノのエライひとは、そんな細かいことにこだわるだろうか。

少なくとも、私は、そうは思わない。

実際、私自身も以前は、座る場所などそれほど意識していなかった。

だが、最近は、そう言った席順も少しは気にするにようなった。

そう考えると、ホンモノのエライひとは、周りから自然と上座に座らされているものである。

では、どういう人が上座にいるかというと、しょうもない地位や名誉にこだわるのではなく、夢や理想をしっかり持っている人なのだと思う。

だが、夢や理想と地位や名誉のバランスをとるのは難しい。

もしも、地位や名誉を得るためにメッキで加工したとしても、所詮、そんなものは、すぐに剥がれてしまう。

逆に、夢や理想という原石があったとしても、苦労して磨かなければ輝くことはない。

楽(らく)しては、何も成せないということである。

いずれにしても、ひとつだけ確実に言えることは、やはり、夢や理想がないと何事も始まらないということだ。

原石をしっかり持っている人は磨く努力をしなくてはいけないし、メッキ加工している人は、原石探しからやり直すしかない。

ヘタにメッキで加工した分、夢や理想・地位や名誉など、何も持っていない人より、やり直すのは難しいかもしれないが、手遅れになる前に自らメッキを剝がしてみてはどうだろうか。

もしかしたら、本当にやりたい事や成すべき事が見えてくるかもしれない。

どうせ努力をするなら、メッキ加工するより、まずは原石ありきで、それを磨いたほうが、絶対的に楽(たの)しいはずである。

※楽(らく)と楽(たの)しいは、同じ漢字でも意味が異なる。仕事とは決して楽ではない。だが、楽しみたいものである。