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エンジェル・ハート(ドラマ)の感想

最近、ほとんどテレビドラマは観なくなった。

だが、エンジェル・ハートは今のところ三話まで観ている。

シティー・ハンターは、若い頃、大好きなマンガだったのだ。

エンジェル・ハートの原作は読んでいないので、どこまで脚本で変更されているかわからないが、ストーリーもドラマで観ている。

そもそも、あの香と獠が結婚するところから始まったが、当時のマンガからは想像できないので、インパクトがあった。

少し調べたら、エンジェル・ハートはシティー・ハンターのパラレルワールドらしい。

それぞれのキャラクターがしっかりしているので、それもありだと思う。

さて、ストーリーは、いきなり香が事故にあい、その心臓が香瑩に移植される。

香瑩は香の記憶に導かれ、かつ戸惑いながら生きて行くことになる。

なんとなく、人が輪廻転生で魂に導かれながら生きているのと似ている気がした。

ただ、普通の人は魂の記憶など忘れてしまっているのである。

今のところ、利他主義的なストーリーもしっかりと取り入れられている。

また、冴羽獠を演じている上川隆也を始め、キャスティングもマッチしていると思う。

ただ、個人的に野上冴子のイメージは、藤原紀香であった。

これから少し中だるみが予想されるが、しばらく付き合ってみたい。

福山雅治「I am a HERO」歌詞と感想

まず、福山雅治「I am a HERO」の歌詞はこちら。

さて、ここから感想。

私は、もともと福山雅治さんの大ファンなので、今回の「 I am a HERO」にもいちいち共感できる。

だが、一番気になったのは、下記の部分。

「なんであいつなんだよ」
って今日もやっかんでる
でも嫉妬こそ努力の根源さ

確かに、やっかみや嫉妬は努力の根源になると思うが、そもそも、本来はそれ自体が無用なのだ。

なぜなら、惜しみない努力とは、もっと崇高な理念に基づいているもののはずだから。

だが、福山雅治があえて「嫉妬こそ努力の根源」と言っているので、逆にリアルである。

例えば、宝くじが当選して思わぬ大金が入ってしまったり、器以上の役職についてしまうなど、たまたま自分の実力以上の金やポジションが手に入ってしまう人がいる。

だが、そんな人たちは、自然と自滅していくものである。

だからこそ、そんな、なんちゃってラッキーな人たちに、やっかむ必要も嫉妬する必要もないのだ。

大事なのは、自分の夢や理想がどこにあるのか。そして、自分自身がそれをしっかり把握しているかどうかである。

もし、嫉妬が恋愛がらみのものなら、あなた自身が、相手を自分に向かせる努力を怠った結果ではないだろうか。

そういえば、今、メディアで活躍している千原ジュニアは、引きこもっていた若かりし頃、テレビの出演者を観ながら、あんなヤツより自分の方が笑いを取れると、やっかんでいたらしい。

自分の実力が世の中から過小評価されていると感じていたのだろう。

現在、メディアで活躍している彼だからこそ、そんなやっかみにも意味がある。

ちなみに、クセもののジュニアを世に出すキッカケとなったのが、兄のせいじだとすると、魂レベルの奥深い話しなるので、割愛することにする。

結局、自分の実力以上の出来事は禍をもたらすし、それを乗り越えれば、実力がつくということである。

逆に、本物の実力者にとっては、世間からの過小評価が、やっかみや嫉妬につながり、さらなる努力の根源になるのかもしれない。

いずれにしても、福山雅治さんくらいのポジションになれば、人生でいっぺんとはいわず、何度でも調子に乗ってもいいと思うが、私のような凡人は、まだまだ調子に乗ることなどありえない。

なので、人生でいっぺんくらい調子に乗れるよう、日々努力していきたいと思う。

そして、最後の歌詞。

10年経ってまだこれ言ってるけど
待たせたな本物に変身するんだ

例えまわりから笑われても何と言われても、本物とは10年でも20年でも何十年でも、夢を追い求め続けられる人なんだと、改めて考えさせられる。

いろいろと踏まえて、現時点の結論を述べると、福山雅治が今なお活躍し続けるのは、彼が自身の過去の栄光に調子づかずに、常に、今ここを一生懸命に生きているからに他ならない。

少なくとも私にとっては、尊敬できるヒーローのひとりである。

最後に余談なるが、いっぺんくらい調子に乗りたいというメッセージは、B’zの「有頂天」にもあった。

他人の何倍も何十倍も努力してるんだから、ちょっとだけ調子に乗って有頂天になってもいいでしょ?ということだ。

常に時代を先どるアーティストのメッセージは、時に似たような内容になる。

繰り返しになるが、我々も自分にできることを一生懸命努力して、ほんの少し調子に乗りたいものである。



色あせないランドセルの中身

末娘が小学生になった。

入学式で、校長先生から、「ランドセルの中に元気と笑顔も入れてきてください」と言われていた。

通学するようになり、「ランドセルの中に何を入れていくんだっけ?」と聞いてみた。

すると、最初は「何だっけ」と言っていたが、「元気と笑顔」だったことを思い出した。

そんなことを何度か続けていると、母親から「やる気」も持っていくように言われていた。

その後、同じ質問をすると「元気と笑顔とやる気」と答えるようになった。

そこで、「あと夢と希望も入れていきなよ」と言ってみた。

「そんなにたくさんは持っていけない」と返ってきた。

「夢と希望」

これらをランドセルからカバンに移して持ち歩いている大人はどれくらいいるだろうか?

娘よ、今だからこそランドセルの中に、「夢と希望」をたくさんたくさん詰め込んで欲しいと父は思う。

もしも、今は詰め込めないなら、それらが見つかってからで良い。

娘よ、それらは、たくさん詰め込んでも、いつのまにか少なくなっているかもしれない。

だけどね、その中でも残ったものをしっかりとカバンに移して、大切に持ち歩いてくれることを願っている。

小3の娘が詠んだ短歌

小鳥たち
さえずり聞いて
聞きかえす
今来た道の
足あとなるもの


目をとじて
聞いてみるなり
山の声
鳥のがっしょう
川のせせらぎ


庭に咲く
あんずの花を
ながめつつ
恋するおとめの
胸はこがれる


雪がとけ
ともに出てくる
草木の芽
春はもうすぐ
やってくるかな


れんげそう
つんで束ねて
髪かざり
いちりんいちりん
笑顔の花に


ひまわりの
花にむらがる
みつばちの
たかき羽音に
耳はうるおう


クリスマス
くつした下げて
ねがう夜
まくら元には
プレゼントあり

あなたに褒められたくて

小田先生にも、そのお姉さんにも、その後一度もお会いしてません。

俳優になって、何年かして、新しい映画のキャンペーンなどで、福岡へ帰ったとき、試写会へご招待したいとかいって、お会いしたいと思い、連絡をとってみましたが、お二方とも異口同音に、

「もう、おばあちゃんですから。昔のイメージのまま、覚えていただいた方が・・・・・」

と、出てらっしゃらないですよね。

お会いしたいなあと思ってるんですが・・・・・。

「小田先生のこと」より

小田先生は高倉健さんの小学校二年生のときの担任で、初めて異性を意識した女性。

そのお姉さんとは、高校時代のバイト先に勤めていた年上の女性で初恋のお相手。

いずれにしても、これが女性の心理なのだろう。

だが、高倉健さんがもしこの二人に会えたとしたら、お世辞でもなんでもなく「お変わりありませんね」なんて言うのかもしれない。


三十回目のお詣りをして、心の区切りがついた。1990年からは、もうこれからは行けるときに行こう、心の流れにまかせて自然体であろうと自分に納得させた。

三十年間のお詣りで仏様にいうことはいつも同じだったような気がする。

「昨年中は有難うございました。こんなに気ままに生きて、昨年はまたしかじかの人の心を傷つけてしまいまいした。反省します」と手を合わせる。

何か頼んだ覚えは一度もない。これからも同じことを祈り続けると思っている。

しかし、よく考えてみれば、その時々、一番気に入っている人の名を挙げ、その人になんとかご加護を与えてください、と祈っている。頼みごとはしない、などと言いながら、やはりお願いをしているじゃないか。

気になっている人はもう年中変わってるから、気が多いんですね。

「善光寺詣り」より

高倉健さんは、どんなに忙しくても、三十年間善光寺へのお詣りを欠かさなかった。海外で撮影しているときも時間調整をして戻ってきてお詣りしている。

以前、神社やお寺へお詣りする際や自宅の仏壇に線香をあげるときには、お願いごとをするのではなく、感謝と報告をするのが本来の目的なのだと聞いたことがある。

それ以来、私自身もそのようにしているが、高倉健さんは、ずっと前からそうしていたということだ。

また、自分のことより気になっている人のご加護を願うところにも大変共感できる。

この項目では、なぜ、善光寺なのかということにも言及している。高倉健さんの先祖に小田宅子(おだいえこ)という女性がいた。

宅子は150年以上も前に九州から善光寺へお詣りに行っていて、その行程が「東路日記」として残っている。そのことを知った高倉健さんは、自分が善光寺へ惹かれ続けれることに「血」を感じて納得している。

「血」という流れで、高倉健さんの家系のルーツは北条篤時という人物であることがわかっている。

新田義貞の鎌倉攻めの時、東勝寺で自害した北条氏の中のひとりである。

新田義貞は私の地元出身で、上毛かるたにも登場し、子どもの頃から身近に感じていた人物なので、なんとも複雑な思いがした。また、いろいろ調べているうちに鎌倉時代から室町時代にかけての歴史の勉強にもなった。

いずれにしても、強い想いには感覚が強く影響していて、何か霊的なものも絡んでいるのだと思う。特に、歴史を動かすような決断は、とても計算ではできない。それはきっと、感覚が重要な要素なのだ。


要するに思いが入っていないのに思いが入っているようにやろうとするから具合が悪いので、本当に思いが入っているのに、入っていない素振りをするところが格好いいのかもわかんないですね。

「お心入れ」より

ホンモノ同士は、言葉がなくても通じ合えるのだと思う。言葉がないと通じ合えないということは、どちらかがニセモノなのだろう。

だが、特に男女の関係においては、言葉なくして想いを伝えるのはむずかしい。

言葉にしなくても伝わるほど、強い想いを込められるのがホンモノの証しなのかもしれない。例え、伝わることがなくても、それはそれで仕方がない。不器用な人間は、ただひたすら想うしかないのだ。


そういうことなんですね。
自分でもどうにもできない心。
―――人を想うということは。

「愛するということは、その人と自分の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います」

『幸せの黄色いハンカチ』の北海道ロケ中に、 ぼくが、山田洋次監督に、愛するということはどういうことでしょうかと、その質問に対する答えでした。

「ウサギの御守り」より

これは、高倉健さんが、ある人から海外のお土産で、ウサギの御守りをいただいたというお話だ。

皮革屋でその御守り専用のカバーまで作って、いつも使っているカバンに取りつけた。

いつも身近なところに置いておきたかったのだ。

例え逢えなくても、連絡さえできなくても、変わらない想いがある。

高倉健さんにとってウサギの女性への想いがそうだった。

一緒に世界中を旅したウサギの御守りが、高倉健さんの想いを不変のものにしていたのだろう。

だが、1990年の7月、映画祭で中国へ行ったときに、その、想いのいっぱい詰まった大事な御守りを失くしてしまった。

懸賞金をつけてまで捜してほしい御守りだったが、結局、出てこなかった。

ここで、上記の内容へとつながるわけだ。

その後、高倉健さんの想いがどうなったかは、もはや知る由もない。


別れって哀しいですね。

いつも――― 。

どんな別れでもいつも――― 。

あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。

「あなたに褒められたくて」より

これは、この本のタイトルにもなっている高倉健さんの亡き母親への想いや思い出がつづられた項目だ。

高倉健さんは母親の遺骨をかじったという話しもある。

ここから少し横道にそれるが、以前、母親を亡くしたという人と話す機会があった。

その人は、他県に住んでいるのだが、週に何度か帰ってきては、母親の介護をしていた。すでに痴呆症にもなっていたという。

亡くなるまで、一生懸命介護をしたが、自分の親不孝を悔やんでいた。

私は、その方に「一番何をしてあげたかったですか?」と尋ねてみた。

「もっとたくさん話したかった」という答えだった。

介護しているときは、すでに痴呆症だったため、その前に何気ないことでいいからもっと親子の会話をしておけばよかったということだ。それが一番の親孝行になったと思うと言っていた。

きっと、本当の親孝行とはそんな些細なことなのかもしれない。

幸い、私の場合、両親が近くにいるので、最近はなるべく顔を出して、些細な親孝行をするように心がけている。

というか、恥ずかしながら、未だにそれくらいのことしかできないのが事実なのだが・・・。

なにはともあれ、両親がまだ健全なうちに褒めてもらえるように、今ここを一生懸命に生きていこうと改めて思う今日この頃である。


以上、高倉健の「あなたに褒められたくて」より私にとって印象深かったところを抜粋してみた。

「高倉健インタヴューズ」を電子書籍で読んだという話しをしたら、今一緒に仕事をしている方がこの本を貸してくれたのだ。

高倉健というと「不器用」という印象が強いと思うが、私は「不変」ということを強く感じた。

時間では変わらない想いを持てるひとなのだと思う。「ウサギの御守り」の中で「自分の想いはタイムカプセルにでも入ったように変わらない」といっている。それが高倉健を美しくしている秘訣なのだろう。

そう考えると、なんだか10年20年30年という年月が短く思えてくる。

人生、たかだか80年。

目まぐるしく変わっていく時代の中で、進化するべきことと変わってはいけないことをしっかりと見極めて、生きていかなければいけないということを高倉健から学んだような気がする。

また、「兆治さんへの花」では、元プロ野球選手の村田兆治とのエピソードが語られている。偶然目にした生放送での最後の挨拶。これに天命を感じ、村田兆治の自宅へ手紙と花束を届けるという内容だ。

この一瞬を大事にするという感性と行動力は、すごいとしかいいようがない。

余談だが、VTRではなくて生放送だからこそ、一瞬のエネルギーみたいなものが伝わるのだろう。

いずれにしても、変わらない持久力と一瞬で変わる瞬発力を合わせ持つのが高倉健というひとなのだ。

久しぶりに良き本に巡り合えた。

ありがとうございました。