カテゴリー: 映画・音楽・アート

2014年「第65回NHK紅白歌合戦」出場歌手

紅組

絢香(7)
E-girls(2)
いきものがかり(7)
石川さゆり(37)
HKT48(初)
AKB48(7)
SKE48(3)
NMB48(2)
神田沙也加(2)
きゃりーぱみゅぱみゅ(3)
香西かおり(18)
伍代夏子(21)
坂本冬美(26)
椎名林檎(2)
天童よしみ(19)
中島みゆき(2)
西野カナ(5)
Perfume(7)
藤あや子(20)
松田聖子(18)
水樹奈々(6)
水森かおり(12)
miwa(2)
May J.(初)
ももいろクローバーZ(3)
薬師丸ひろ子(初)
和田アキ子(38)

白組

嵐(6)
五木ひろし(44)
EXILE(10)
間ジャニ∞(3)
クリス・ハート(2)
郷ひろみ(27)
ゴールデンボンバー(3)
三代目 J Soul Brothers(3)
SMAP(22)
SEKAI NO OWARI(初)
Sexy Zone(2)
T.M.Revolution(5)
TOKIO(21)
徳永英明(9)
AAA(5)
長渕剛(4)
氷川きよし(15)
V6(初)
福田こうへい(2)
福山雅治(7)
細川たかし(38)
ポルノグラフィティ(13)
美輪明宏(3)
森進一(47)

※50音順(カッコ内は出場回数)

以上、今年の出場歌手は、紅白合わせて51組。初出場は紅組が3組、白組が2組の合わせて5組。これまでの対戦成績は、昨年の白組の勝利で、紅組29勝、白組35勝。

高倉健が美しい理由

「高倉健インタヴューズ」というライトエッセイがある。

その中で興味深い発言を紹介したい。

「魚釣りみたいに餌をポンと浮かべてただ流れを待つのではなく、ビジネスとして積極的にポイントポイントを調べて、それにあった針を使い、餌を使い、一番いい季節を選ぶというやり方は、商売として絶対にあると思う」

これは、来る者拒まずとか当たれば儲けものということではなく、初めから自分の理想をきちんと設定して、それを狙っていくということである。

ある意味では、自分自身を俳優高倉健として商品化した天才的なビジネスパーソンと言える。

実際、高倉健さんは、このスタイルを通し、晩年では4~5年に1回しか仕事を受けていなかった。

ただし、その間も、常に肉体を管理し、演技を学び、いつでも撮影に入れる準備は当然しているわけで、それなのにこの頻度というのは、すごいプロ魂としか言いようがない。

だが、逆にこんなことも言っている。

「待っているときはとても苦しい、ポンポン仕事を受ければ、どれだけ楽なのだろうと思う」

高倉健さんはこういう仕事の受け方について、効率的では全くないということを自覚しながら、なぜそのスタイルにこだわるのかと聞かれて、こう答えている。

「まずい餌の獲り方をすると、姿が悪くなる」

これが高倉健さんの生き方が美しい真髄だと思う。

例えば、ライオンとハイエナの餌の獲り方の違いが、そのまま姿に現れているということである。

これは人間にも通じることで、餌の獲り方、すなわち仕事の選び方や稼ぎ方が重要だと彼は言いたいのだ。

突然の訃報から一夜明け、次々と表に出てくる彼の生きざま。

公表するタイミングや仕事へのけじめなども、いちいち彼らしい。

死ぬ直前まで打ち込んだ俳優という天職を全うした彼の魂は、今頃どうしているだろう。

人生を振り返り、幸せを感じているだろうか。

そして、唯一結婚した女性で、離婚したあとも毎年命日には墓参りを欠かさなかったという江利チエミさんの魂と再会でもしているのだろうか。

いずれにしても、我々が高倉健さんのように美しく生きたいと願うことが、供養になるのかもしれない。

アウフヘーベンと真夏の方程式

アウフヘーベンとはドイツの哲学者であるヘーゲルが提唱した概念である。

日本語にすると止揚。

要するに、らせん階段で発展するということだ。

例えば、しっかりと他人の意見を聞くことができる人は、自分の意見のみをゴリ押しすることはしない。

相手の意見を踏まえて超えて、自分の意見を押すなら、それもいい。

また、ときには、相手の影響を受け、自分の意見が変わることもある。

それは、常に自分自身を成長させようと、今ここを一生懸命に生きていれば仕方のないことだ。

だから、過去の自分の意見にこだわり過ぎる必要はない。

つまり、過去の自分を踏まえて超えて、常に自分自身を進化させる必要があるということである。

最初から意見も聞かずに、相手を否定してはいけない。

また、他人から言ってることがコロコロ変わると言われても、自分の理念をしっかり持っていれば、気にする必要はない。

それに、自分の理念が高いところにあれば、他人の意見など大抵は踏まえて超えられるだろうし、もしも自分の意見が変わったとしても誤差の範囲である。

私自身も、長年サイトやブログを運営しているが、手を替え品を替えしているだけで、言いたいことの本質は変わっていない。

実は今回も、今までずっと言ってきたらせん階段で成長することの重要性を「アウフヘーベン」という表現に変えただけなのだ。

また、それを両行と表現したこともあった。

テクニック的なことを言うと、語彙が増えれば何となく賢くみえる。

アウフヘーベンも、嫌味にならないように気を付けながら、あなたの語彙のひとつとして活用していただきたい単語のひとつである。

ところで、福山雅治さん主演のガリレオシリーズで「真夏の方程式」という映画をご存じだろうか。

例えば、この前半部分にあった開発側と環境保護側が対立しているところなど、冷静な湯川教授を通してアウフヘーベンの必要性をうまく表現していたと思う。

すでに観たという人も多いだろうが、アウフヘーベンということを意識しながら、改めて観るのもおもしろいかもしれない。

ベンジャミン・バトン数奇な人生の感想

ベンジャミン・バトン数奇な人生は以前にDVDをレンタルして観たのだが、今回、期間限定で配信されていたGYAO!の無料動画で改めて観たので、勝手な感想を述べたいと思う。

前回観たのはだいぶ前だが、内容はかなり鮮明に覚えていた。

ただ、自分の人生経験も増えた分、そのあたりも含め、改めて感想を書きたくなったのだ。

ストーリーは主人公のベンジャミン・バトンが80歳くらいの肉体の赤ん坊で生まれ、年齢を重ねるごとに若返っていくというもの。

以前から、なかなか面白い設定だと思っていた。

というのも、これは人生をトップダウン思考でとらえた設定なのである。

トップダウン思考とは、まず最終的な目標をいつまでに達成するか決めて、そこから計画を立て、今やるべきことを実行するという考え方だ。

逆に、コレができたらアレをやって、などと考えるボトムアップ思考では、いつまで経っても最初のコレができずにダラダラと時間だけが過ぎてしまう可能性がある。

例えば、人間の命には限りがある。

そのことを意識して日々生きている人は、おそらく少ないだろう。

だが、ベンジャミン・バトンは、最終的に赤ん坊の肉体にもどってしまうので、日々、人生の最終地点を意識して生活している。

最終地点から計画を立て、今ここを生きるという、まさに人生がトップダウン思考なのだ。

そういう意味では「アルジャーノンに花束を」という小説と類似している。

余談だが、死刑囚と終身刑の囚人では、死刑囚のほうが毎日を活き活きと過ごしているという。

この先の人生に何の目的もなくいつまでもいつまでも檻の中に閉じ込められている終身刑の囚人より、明日死刑が執行されるかもしれない死刑囚の方が潔く日々を一生懸命に生きられるのだと思う。

さて、物語でベンジャミン・バトンは子どもの頃にデイジーという少女に一目惚れする。

デイジーも老体のベンジャミン・バトンが、実は子どもだと見抜いてしまう。

このあとのふたりの人生は、それぞれにいろいろあるが、常に深い深い絆で結ばれていた。

まさに、宿命で結ばれた永遠の恋人同士である。

お互いにニアミスを繰り返すふたりが最初に肉体で結ばれたのは40代だった。

ここでのポイントはタイミングである。

人生において、非常にタイミングというものが重要だ。

天に与えられたタイミングを逃さないよう常に意識しないと、大切なものが手に入らなかったり、または失う結果になってしまうことがある。

このふたりもタイミングが合わず、ニアミスを繰り返したが、結局、絶妙のタイミングで結ばれた。

ともに過ごしたこの時期がお互いの人生で一番幸せだったに違いない。

老いる女と若返る男にとって、ちょうど人生の折り返し地点である。

余談だが、年下の男性と結婚した女性は、平均寿命より短命の人が多いらしい。

女性の方が老いに対する不安が強く、若い夫が知らないうちにストレスになっているのかもしれない。

さて、ベンジャミン・バトンにはデイジーと結ばれる前に束の間の恋に落ちた女性がいた。

彼女は19歳の時、女性初の英仏海峡横断泳という偉業にチャレンジして、のこりわずかのところで断念している。

ベンジャミン・バトンとデイジーが毎日ラブラブに暮らしていたころ、その女性が68歳で英仏海峡横断泳に成功したというニュースがテレビで流れる。

チャレンジするのに、年齢は関係ないということである。

そんなある日、ふたりは子どもを授かる。

親子三人の幸せな日は続くのだが、将来のことを考えたベンジャミン・バトンは実の父親の遺産をすべてデイジーと幼い娘に残して、旅に出てしまう。

時は流れ、子どもが14歳のときに、ベンジャミン・バトンは一度デイジーの元へ現れるのだが、すでに別の男性と結婚していた。

それでも宿命で結ばれたふたりは、自然と肉体を合わせる。

だが、若いベンジャミン・バトンとすでに熟女になったデイジーには、体力にも差があり、お互い空しさが残るだけだった。

その後、さらに時は流れ、少年となって記憶をなくしたベンジャミン・バトンがデイジーの元へ戻ってくる。

そして、しゃべることも歩くことも忘れた赤ん坊の姿となり、デイジーの腕の中で最期のときを迎えた。

この一瞬だけ、ベンジャミン・バトンはすべてを想いだし、デイジーとの幸せな記憶に包まれながら、その腕の中で静かに目を閉じたに違いない。

この物語のポイントをまとめると次の5点になる。

1.日常ではあまり意識してなくても人は必ず死ぬということ

2.死を最終的な目的地にしたトップダウン思考

3.人生にはタイミングが大事

4.チャレンジするのに遅すぎることはない

5.人生最大の幸せは宿命の恋人と一緒に恋に落ちているひとときであること

また余談になるが、少し前に仕事で現代の名工の取材をした。

印象的だったのは、80代の男性と女性だった。

ふたりに共通するのは、実年齢より若々しく、とても元気だということ。

女性は56歳から弓道を始め、現在は錬士6段の腕前。

男性は60歳からゴルフを始め、現在はエイジシュート(18ホールを年齢以下のスコアで回ること)も狙えるほどの腕前。

まさに、何事も始めるのに遅すぎるということはないのだ。

もちろん、ふたりとも後進の指導をしながら仕事のほうも現役バリバリである。

おそらく彼らは、死ぬ直前まで、自分の好きな仕事をして、元気に弓道やゴルフを楽しんでいると思う。

私もすでに人生の折り返し地点を過ぎている。

彼らのような素敵な生き方を参考にして、最終的な目的地を設定し、人生を再設計したいと考えている。

そして、そこから計算して、今ここを死刑囚のように潔く一生懸命に生きていたい。

閑話休題。

「おやすみ、ベンジャミン」

デイジーは、最期にこう言ってから静かに目を閉じた。

自分の人生の最期に「おやすみ」を言いたい相手とは、どんなひとだろうか。

きっと、魂に直接キスができるほど深いところまで一緒に恋に落ちてくれたひとに違いない。

たとえ人生のほとんどを別々に過ごしたとしても、最期におやすみを言いたい相手と出逢えた人は世の中にどのくらいいるのだろうか。

もしかしたら、出逢っていても、気付かない人が多いのかもしれない。

ベンジャミン・バトンの数奇な人生を何かしらの参考にして、あなた自身の人生について、少しだけ想いを廻らせてみてはいかがだろうか。

世紀の歌声!生バトル 日本一の歌王決定戦!

先日、TBSで放送していた「世紀の歌声!生バトル 日本一の歌王決定戦!」という番組を観た。

まんねり化しているテレビ番組に、ちょっとしたイノベーションを感じた。

まず、最近、減ってきている素人参加番組であること。

クイズ番組なども、素人が参加するタイプは、どんどん減ってきてる。

視聴者受けが良くないということである。

だが、今回は素人と言っても、歌手を夢見る人たちで、それなりの専門家の厳しい審査を突破したという意味では、ただの素人とはいえないかもしれない。

もうひとつは、100%国民投票で決まること。

予選は、4月から始まっていて、専門家が審査していたらしいが、決勝は生放送で、すべて国民の投票で勝者が決まるというシステムであった。

お笑いのコンテストなど、一部国民投票というのは以前からあったが、そもそも審査員の質が問題視されていた。

実際、お笑いコンテストだけでなく、なんでもそうだが、審査員が残念な場合が多々あるので、結果を悲観し過ぎることはないということに、さりげなく触れておきたい。

なので、100%国民投票とはなかなか画期的な試みだと感じた。

いいか悪いかは別として、審査の結果(投票の結果)にはストーリーも何もなかったように思う。

いずれにしも、今後のテレビ放送業界の進むべき道を模索するには、おもしろい番組であった。