久しぶりの健康哲学

昨夜、久しぶりに親友に会った。

昔は、かなり飲むヤツだったが、最近はメタボを気にして酒も飲まずダイエットに励んでいたらしく、すっかりスリムになっていた。

多い時には一日二箱以上吸っていたタバコも、つい先日辞めたらしい。

そういう人がまわりに増えてきたように思う。

健康に気を使う年齢になったということもあるだろう。

だが、その親友も含め、大きな組織に勤めて安定した暮らしをしている人は特に、そういう傾向が強いような気がする。

彼らは、ただひたすら、ストイックなまでに自分の健康を維持しようとしているように見える。それが、ただ単に長生きしたいだけなのか、家族のためなのか、他に理由があるのかはわからない。

世の中の動きにはそれほど関心もなく、それよりむしろ、自分の健康を数字で確認できることのほうが大事なのだ。

そして、ウィークデイは職場と自宅を忙しく行ったりきたりして、週末にはちょっとした家族サービス。

本当に充実している人たちには、外部の人間からの「いいね」など必要ないのかもしれない。実際に、私のまわりにいる、そういう人たちは、誰一人ソーシャルネットなどやっていない。

彼らはきっと、特に深い悩みもなく、不自由もなく、普通に幸せなのだろう。

だが、変人の私は、彼らのようになろうとは、どうしても思えない。

今さらなれないので、ひがんでいるのだろうと言われてもしかたがないが・・・
それよりも、むしろ、何か大切なものの存在を忘れてしまったか、そもそも気付いてもいない「ある意味で幸せな人種」にみえてしまう。

余談の続きだが、彼らをみていて心配なところは、せまい殻の中に閉じこもっているということだ。いくら大きな組織とはいえ、世界から見たらちっぽけだし、いつなにが起こるかわからない。自分の勤める会社にしろ、家庭にしろ、常に外から客観的にみるくせをつけなくてはいけないのだ。
また、そうすることで、組織の中で自分が何をするべきか、みえてくることもある。

さて、同じく、昨日の昼間。

従姉の急な誘いで、タッキー先生という方の「心と体の健康セミナー」に参加した。占星術やスピリチュアルなども多少含んだ健康哲学的なセミナーだった。

私もその手のことには興味があり、実際にいろいろと学んできた。基本的に「宇宙とからだはつながっている」というところは同意見である。
なので、とても聞きやすいセミナーだった。

心が体の健康に影響を与えることもあれば、逆に体が心の健康に影響することもある。まさに、病は気からである。

プラスアルファとして、生まれ持っての宿命なども絡んでくる。

いろいろな考え方を加え、後日、私なりにまとめてみたいと思う。

いずれにしても、生きている以上、人は健康でありたいと願う。実際に健康であることに越したことはない。
ただ、病気になることにも意味があるし、健康でなくても生きていかなくてならない。

一番重要な事は、例えどんな病気になったとしても、すべて受け入れて、常に前を向くということである。

ストイックに健康を数値化するのもよいが、もっと根本的なところから考える必要があると思う。

昨日の出来事は、私自身にとっても、自分の健康について改めてあれこれと考える良いキッカケとなった。
この先は少し長くなりそうなので、今日はこの辺にして、また別の機会に。

乞うご期待。

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