利他主義と徳の貯金

今年は4年に1度のうるう年。

1日多い分、少し得した気分である。

さて、最近、利他主義とは、徳の貯金なのではないかと思えてきた。

まずは、打算でもいいから、他人のためになることを進んでする。

それが、徳の貯金になって、天の銀行に貯まっていく。

そして、いずれは、自分に返ってくる。

そんなことが、目に見えないところで行われているような気がする。

もしも、今世で返ってこなくても、来世で返ってくるのかもしれない。

なので、例え今が報われなくても、ひたすら徳を積む修行をするべきなのだ。

仏教でいうところの「因果応報」である。

例えば、道端のゴミを拾ってみるとか、困っている人に声をかけてみるとか、そんなところからでもいいから、何か他人のためになることを始めてみてはいかがだろうか。

これも、りっぱな利他主義である。

逆に、自己保身のために、他人を傷つければ、徳の貯金は減って行く。

例えば、ビジネスにおいても、目先の現金に目がくらんで、徳の貯金を減らさないように気を付けなくてはいけない。

達観すれば、「徳を減らすなら、歯を食いしばってでも現金を減らしなさい。結局、それが、未来の自分のためになるのだから」ということである。

公私を問わず、常に天に見られていることを意識して、日々を清く正しく美しく生きていきたいと思う今日この頃である。

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