投稿者: beam

アウフヘーベンと真夏の方程式

アウフヘーベンとはドイツの哲学者であるヘーゲルが提唱した概念である。

日本語にすると止揚。

要するに、らせん階段で発展するということだ。

例えば、しっかりと他人の意見を聞くことができる人は、自分の意見のみをゴリ押しすることはしない。

相手の意見を踏まえて超えて、自分の意見を押すなら、それもいい。

また、ときには、相手の影響を受け、自分の意見が変わることもある。

それは、常に自分自身を成長させようと、今ここを一生懸命に生きていれば仕方のないことだ。

だから、過去の自分の意見にこだわり過ぎる必要はない。

つまり、過去の自分を踏まえて超えて、常に自分自身を進化させる必要があるということである。

最初から意見も聞かずに、相手を否定してはいけない。

また、他人から言ってることがコロコロ変わると言われても、自分の理念をしっかり持っていれば、気にする必要はない。

それに、自分の理念が高いところにあれば、他人の意見など大抵は踏まえて超えられるだろうし、もしも自分の意見が変わったとしても誤差の範囲である。

私自身も、長年サイトやブログを運営しているが、手を替え品を替えしているだけで、言いたいことの本質は変わっていない。

実は今回も、今までずっと言ってきたらせん階段で成長することの重要性を「アウフヘーベン」という表現に変えただけなのだ。

また、それを両行と表現したこともあった。

テクニック的なことを言うと、語彙が増えれば何となく賢くみえる。

アウフヘーベンも、嫌味にならないように気を付けながら、あなたの語彙のひとつとして活用していただきたい単語のひとつである。

ところで、福山雅治さん主演のガリレオシリーズで「真夏の方程式」という映画をご存じだろうか。

例えば、この前半部分にあった開発側と環境保護側が対立しているところなど、冷静な湯川教授を通してアウフヘーベンの必要性をうまく表現していたと思う。

すでに観たという人も多いだろうが、アウフヘーベンということを意識しながら、改めて観るのもおもしろいかもしれない。

企業内の4つの「じんざい」

•人罪・・・実績もなく、成長も期待できない残念な人

•人在・・・実績はあるが、成長が見込めない過去の人

•人材・・・実績はないが、成長が期待できるので、育成する価値のある人

•人財・・・実績もあり、さらなる成長も期待できるので、一番必要とされる人

過去の実績がいつまでも通用するような時代ではなくなった。いつでもどこでも学ぶ意識を忘れずに、今ここをしっかりと生きなければ、人財にはなれないのだ。

ベンジャミン・バトン数奇な人生の感想

ベンジャミン・バトン数奇な人生は以前にDVDをレンタルして観たのだが、今回、期間限定で配信されていたGYAO!の無料動画で改めて観たので、勝手な感想を述べたいと思う。

前回観たのはだいぶ前だが、内容はかなり鮮明に覚えていた。

ただ、自分の人生経験も増えた分、そのあたりも含め、改めて感想を書きたくなったのだ。

ストーリーは主人公のベンジャミン・バトンが80歳くらいの肉体の赤ん坊で生まれ、年齢を重ねるごとに若返っていくというもの。

以前から、なかなか面白い設定だと思っていた。

というのも、これは人生をトップダウン思考でとらえた設定なのである。

トップダウン思考とは、まず最終的な目標をいつまでに達成するか決めて、そこから計画を立て、今やるべきことを実行するという考え方だ。

逆に、コレができたらアレをやって、などと考えるボトムアップ思考では、いつまで経っても最初のコレができずにダラダラと時間だけが過ぎてしまう可能性がある。

例えば、人間の命には限りがある。

そのことを意識して日々生きている人は、おそらく少ないだろう。

だが、ベンジャミン・バトンは、最終的に赤ん坊の肉体にもどってしまうので、日々、人生の最終地点を意識して生活している。

最終地点から計画を立て、今ここを生きるという、まさに人生がトップダウン思考なのだ。

そういう意味では「アルジャーノンに花束を」という小説と類似している。

余談だが、死刑囚と終身刑の囚人では、死刑囚のほうが毎日を活き活きと過ごしているという。

この先の人生に何の目的もなくいつまでもいつまでも檻の中に閉じ込められている終身刑の囚人より、明日死刑が執行されるかもしれない死刑囚の方が潔く日々を一生懸命に生きられるのだと思う。

さて、物語でベンジャミン・バトンは子どもの頃にデイジーという少女に一目惚れする。

デイジーも老体のベンジャミン・バトンが、実は子どもだと見抜いてしまう。

このあとのふたりの人生は、それぞれにいろいろあるが、常に深い深い絆で結ばれていた。

まさに、宿命で結ばれた永遠の恋人同士である。

お互いにニアミスを繰り返すふたりが最初に肉体で結ばれたのは40代だった。

ここでのポイントはタイミングである。

人生において、非常にタイミングというものが重要だ。

天に与えられたタイミングを逃さないよう常に意識しないと、大切なものが手に入らなかったり、または失う結果になってしまうことがある。

このふたりもタイミングが合わず、ニアミスを繰り返したが、結局、絶妙のタイミングで結ばれた。

ともに過ごしたこの時期がお互いの人生で一番幸せだったに違いない。

老いる女と若返る男にとって、ちょうど人生の折り返し地点である。

余談だが、年下の男性と結婚した女性は、平均寿命より短命の人が多いらしい。

女性の方が老いに対する不安が強く、若い夫が知らないうちにストレスになっているのかもしれない。

さて、ベンジャミン・バトンにはデイジーと結ばれる前に束の間の恋に落ちた女性がいた。

彼女は19歳の時、女性初の英仏海峡横断泳という偉業にチャレンジして、のこりわずかのところで断念している。

ベンジャミン・バトンとデイジーが毎日ラブラブに暮らしていたころ、その女性が68歳で英仏海峡横断泳に成功したというニュースがテレビで流れる。

チャレンジするのに、年齢は関係ないということである。

そんなある日、ふたりは子どもを授かる。

親子三人の幸せな日は続くのだが、将来のことを考えたベンジャミン・バトンは実の父親の遺産をすべてデイジーと幼い娘に残して、旅に出てしまう。

時は流れ、子どもが14歳のときに、ベンジャミン・バトンは一度デイジーの元へ現れるのだが、すでに別の男性と結婚していた。

それでも宿命で結ばれたふたりは、自然と肉体を合わせる。

だが、若いベンジャミン・バトンとすでに熟女になったデイジーには、体力にも差があり、お互い空しさが残るだけだった。

その後、さらに時は流れ、少年となって記憶をなくしたベンジャミン・バトンがデイジーの元へ戻ってくる。

そして、しゃべることも歩くことも忘れた赤ん坊の姿となり、デイジーの腕の中で最期のときを迎えた。

この一瞬だけ、ベンジャミン・バトンはすべてを想いだし、デイジーとの幸せな記憶に包まれながら、その腕の中で静かに目を閉じたに違いない。

この物語のポイントをまとめると次の5点になる。

1.日常ではあまり意識してなくても人は必ず死ぬということ

2.死を最終的な目的地にしたトップダウン思考

3.人生にはタイミングが大事

4.チャレンジするのに遅すぎることはない

5.人生最大の幸せは宿命の恋人と一緒に恋に落ちているひとときであること

また余談になるが、少し前に仕事で現代の名工の取材をした。

印象的だったのは、80代の男性と女性だった。

ふたりに共通するのは、実年齢より若々しく、とても元気だということ。

女性は56歳から弓道を始め、現在は錬士6段の腕前。

男性は60歳からゴルフを始め、現在はエイジシュート(18ホールを年齢以下のスコアで回ること)も狙えるほどの腕前。

まさに、何事も始めるのに遅すぎるということはないのだ。

もちろん、ふたりとも後進の指導をしながら仕事のほうも現役バリバリである。

おそらく彼らは、死ぬ直前まで、自分の好きな仕事をして、元気に弓道やゴルフを楽しんでいると思う。

私もすでに人生の折り返し地点を過ぎている。

彼らのような素敵な生き方を参考にして、最終的な目的地を設定し、人生を再設計したいと考えている。

そして、そこから計算して、今ここを死刑囚のように潔く一生懸命に生きていたい。

閑話休題。

「おやすみ、ベンジャミン」

デイジーは、最期にこう言ってから静かに目を閉じた。

自分の人生の最期に「おやすみ」を言いたい相手とは、どんなひとだろうか。

きっと、魂に直接キスができるほど深いところまで一緒に恋に落ちてくれたひとに違いない。

たとえ人生のほとんどを別々に過ごしたとしても、最期におやすみを言いたい相手と出逢えた人は世の中にどのくらいいるのだろうか。

もしかしたら、出逢っていても、気付かない人が多いのかもしれない。

ベンジャミン・バトンの数奇な人生を何かしらの参考にして、あなた自身の人生について、少しだけ想いを廻らせてみてはいかがだろうか。

自省録002

君たちの魂が引き寄せあっているかどうかは誰にもわからない

もし仮に引き寄せあっていたとしても相手の魂は気づいていない

君がどんなに願っても相手の魂は覚醒していないのだ

厚い厚い心身の壁に閉ざされている

それでも君は君自身の魂が導く道へ進みなさい

きっといつか光の当たる場所へたどり着けるはずだから

それは魂が覚醒した者にしかたどり着けない素晴らしい場所

もちろん道は険しい

もしかしたら、目的の場所へたどり着くことはないかもしれない

だが、君の心身はまだまだ丈夫だ

その道を歩むことこそが君自身の生きた証しにきっとなる