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前前前世の歌詞に一言

君の名は。を観たついでに、前前前世も聞いてみた。

どうしても気になる歌詞がある。

前前前世の歌詞はこちら

「むしろ0から また宇宙をはじめてみようか」←ここ!

宇宙を0からはじめるなんて、創造主でもあるまいし・・・と、感じた。

最後と同じフレーズ「何光年でも この歌を口ずさみながら」でよかったのではないだろうか。

全体的に、とても良い曲だと思っただけに、特に気になって仕方がなかった。

なかでも「君は僕から諦め方を 奪い取ったの」という歌詞は、妙に共感できた。

だた、例えば、どんなに良い仕事をしても、たった一つのミスで帳消しなってしまうこともよくあることだ。

そんな自戒の念も込めて、この記事にしてみた。

君の名は。の感想

巷で話題の君の名は。。

Rakuten TV で観てみた。

話題作だけあって大まかなストーリーは、何となく情報が入っていたが、基本的には「イルマーレ」のようなタイムトラベル・ラブストーリー。

そこに、パラレルワールドや輪廻転生の要素などが加わっている。

そうだな~、

例えば、一目みた瞬間に、このひとは、自分にとってとても大切なひとだと感じた経験はないだろうか。

一目ぼれもその一種なのだろうが、そんな陳腐なものでなく、ただの恋愛以上の感覚である。

・・・もしかしたら、そんな経験をしたひとは少ないのかもしれないが、、、

きっとこの手の作品は、前世からつながっているソウルメイトとの出逢いから生まれるのだろう。

その瞬間の感覚をなんとか表現しようとして、君の名は。のような作品が誕生するのだと思う。

ただ、そんな数あるストーリーは、ソウルメイトとどのようにつながっていたのかという可能性のひとつに過ぎない。

君の名は。の最後のシーンでは、その出逢いが、ただの一目ぼれでは片付けられないということが上手く表現されている。

また、途中で祖母の一葉と妹の四葉と一緒に黄泉の領域に入る三葉(中身は瀧)だが、戻ってくるには、大切なもの(自分の半分)を置いてこなくてはならい。

この作品では、それをのちに時空を超えて三葉と瀧をつなぐ、「口噛み酒」で表現している。

この時に、私の中でリンクしたのが、斉藤和義が作詞作曲したSMAPの僕の半分という曲である。

ソウルメイトと出逢うと、自分の半分のように感じるのだ。

そのあたりのメッセージも含まれている。

そして、黄昏時(片割れ時)のほんのひと時だけ、時空を超えた三葉と瀧はつながることができた。

このほんのわずかなひと時が、タイムトラベル・ラブストーリーの中で最後の出逢いの瞬間へとつながるわけである。

前世からつながりのあるソウルメイトとの出逢いは、誰にでもあると思うが、誕生の際に記憶が消されるため、それに気づかないことが多いのだろう。

そのような、人生において何か大切なことを気づかせるために、このような作品が誕生するのかもしれない。

余談だが、最近のドラマや映画はつまらなくてほとんど観られなくなった私が、以前、なんとなくGYAO!で観た「言の葉の庭」に関する記事を書いた。

同じ監督の作品だと知って、はやり「嚢中之錐」であったと思い、少しうれしかった。

そう、君の名は。の中で「たそがれ」の授業をしていたのは、ショートカットが似合う、その後の雪野先生ではないだうか。

三葉が終盤でショートカットにした姿は、まるで雪野さんのようであった。

個人的な見解だが、新海さんにとっては、リアルに彼女のような素敵なひととの出逢いがあったから、言の葉の庭や今回のような作品ができたのだろうと勝手に想像している。

さてさて、

もしも、たまたまこの記事を目にして、今は日常に追われている方がいるなら、「君の名は。」でも観て、一息ついてみてはいかがだろうか。

何か大切なことに気づくかもしれない。

さて、ソウルメイト。

それにもいろいろある。

前世からつながっているもの。

来世へつながるもの。

そして、その両方。

例えば、前世からつながりのあるソウルメイト。

もし、出逢うべくして出逢えたなら、きっと口にするだろう。

(今の)君の名は。

だが、現実は、この作品のようにハッピーエンドとは限らない。

というか、輪廻転生するなら、終わりなどないのではないだろうか。

自分の半分と感じるほどのソウルメイトでも、今世の時間の中で、お互い離れていくこともある。

ソウルメイトからの卒業とでもいったらいいだろうか。

そしてまた、来世をともにするのにふさわしい魂を探して今ここを生きていく。

なので、ひとが幸せを感じるのは、ほんの一瞬で、ほとんどの時間は一緒にいたいと魂から感じられる誰かを常に探している状態なのかもしれない。

もしも、ずっと、同じ魂とつながれたなら、それほど素敵なことはないのだろうけどね。

こればかりは、相手がいることだから難しいわけで、ストーリーになる理由でもあるのだろう。

また、運よくソウルメイトと巡りあえたとしても、今世での入れ替えもあるのではないかと考えている。

例えば、辻仁成と中山美穂。

彼らは、前世のつながりを感じさせらるような素敵なカップルに思えたが、離婚してしまった。

私もかつて憧れた中山美穂さんは、新たな恋人ができたようだが、現在はどうなっているだろう。

一方、辻仁成さんは、今や性別を超越してしまったようだ。

両者とも、来世の準備でもしているのだろう。

閑話休題。

ちなみに、君の名は。の舞台は糸守であった。

それは、つながりのシンボルであるのと同時に、中島みゆきの「糸」という曲を連想させる。

また、ソウルメイトに性別はあまり関係ないのだろうが、実際、世に出ているのは、男女のラブストーリーが多い。

私が知っている範囲で「最高の人生の見つけ方」などは同姓ソウルメイトのストーリーといって良いと思うが、やはり、出逢った瞬間のインパクトは、異性のほうが圧倒的に強烈なのだろう。

だからこそ、この世には男性と女性がいるのかもしれない。

生物学的に子孫繁栄だけのためなら、自分自身が雌雄同体になれば良いわけだからね。

いずれにしても、ソウルメイトとの出逢いの瞬間、または、一緒に恋に落ちていられるわずかな時間には、物語をひとつ造れるほどの価値がある。

いろいろ考えてみると、数あるハッピーエンドストーリーのその後、つまり一般的な幸せをカタチにするとサザエさんになるのかもしれない。

君の名は。も良かったが、今日は日曜なので、平和な日本に感謝しながら、とリあえず、サザエさんでもみようではないか。

そういえば、少し前に杉田かおるが、日曜の朝にテレビ東京の昔ばなしをみて、夕方にフジテレビのサザエさんを家族とみるという今の暮らしが幸せだと言っていた。

彼女のバックボーンを考えるとわからなくもない。

うん、、、なんだか、表題と少しずれたような気もするし、幸せについて語ると長くなるので、この辺で。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

サザエさん視聴率低迷の理由

サザエさんの視聴率が低迷しているらしい。
サザエさん視聴率201608

この事実と関係があるかわからないが、個人的にひとつ気になることがある。

磯野フネの声である。

アニメの声優が変わることはたまにあるが、比較的短期で慣れることが多い。少なくとも磯野波平の声優が変わった時はすぐに慣れた。

それは、引き継いだ声優が、前任に似せる工夫をしているからだと思う。

ただ、良いか悪いかは別として、2015年10月から変わった現在のフネの声は何となく独自色が強いように感じる。なので今でも違和感があるのだ。

毎週観ているわけではなので何とも言えないが、あえて言うなら、引き継ぎがうまくいっていないように思う。

そのことが視聴率とどの程度関係しているのかわからないが、サザエさんのいちファンとしての意見である。

ただ、それはもっと大きな時代の変化のキッカケに過ぎないのかもしれない。

いずれにしても、とんねるずのみなさんのおけでしたよりサザエさんが早く終わることはないと考えている。

余談だが、とんねるずといえば、最近、そのネーミングの素晴らしさを改めて実感している。

とんねるとは、目的地に早くたどり着きたい人たちが使う手段である。(掘るまでの関係者の苦労は相当なものだろうが・・・)

彼らが、成功という目的地に最短でたどり着くために「とんねるず」というグループ名にしたのだとすると、戦略がずばり的中したことになる。(ある意味、色々な人たちを踏んずけて超えていったのだろう)

実際のところはググればすぐにわかるだうが、ここではあえて触れないことにする。

閑話休題。

結局、どんなことにも始まりがあれば、終わるがあるということである。

言の葉の庭と耳をすませば

先ほど、言の葉の庭を観た。

まず、感じたのは、主人公の秋月孝雄が耳をすませばの天沢聖司と同じようなキャラだということ。

ただ、恋愛対象の女性設定の違いや、メッセージの違いからストーリー自体は別ものになっている。

雪野(ゆきの)百香里(ゆかり)先生のキャラに関しては、いろいろと想うところがあるが、個人的な感情移入もあるので割愛させていただくことにする。

それにしても、細かい仕草や表情まで丁寧に描かれているということもあるが、彼女がとても素敵な女性だと感じるのは私だけではないだろう。

さて、ストーリーが進んでいく中で、最後に、ナゾの女性が自分の通う高校の教師だということがわかる。

その女性が朝からチョコをつまみにビールを飲んでいた理由も。

だが、結局、まだまだ未熟な秋月孝雄が、好きになった美しい女性のためにできることは、彼女がこれからの人生をしっかりと歩んでいけるような靴を造る職人になるために、日々、努力することだけなのだ。

本当にいい女というのは、そういう立派な男を育てるチカラがあるのかもしれない。

ある意味では、これも教育だと思う。

いずれにしても、どんなに美しい女性にだって、悩みのひとつやふたつはあるのだろう。

男としては、そんな美しいひとたちのお役に立てる仕事がしたいものである。

そして、日々努力して、できることなら、その美しいひとと一緒に恋に落ちることができるように、いろいろな天からのお計らいを期待したい。