不惑の年を迎えた二人の男がいた。板倉大輔と大柴真一である。
大輔は、一部上場の大企業に勤めていた。人一倍、努力していたので、同期の中でも出世頭であった。ただし、日曜と祝日だけは、必ず休むようにして、家族サービスも忘れなかった。
一方、真一は、社員が十名程度の小さな工務店の営業をしていた。小さい会社なので、ひとりなん役もこなさなくてはならない。休日は、月に数日しかなく、たまの休みも、いつも家でゴロゴロしているだけである。
家族構成はふたりとも似ていて、妻と三人の子どもがいた。ともに女男男である。
真一は、結婚が早く、長女は高校二年生だった。
大輔は、過去に二度ほど、婚約した女性がいたが、結婚には至らなかった。三度目の正直で結婚したのだが、この時、長女はまだ保育園の年長であった。
ふたりは、同じ高校の同級生である。
真一の会社は、社長の古田信明が一代で築いた会社だった。
真一はなんども古田と衝突して、辞めることも考えたが、家族のために踏みとどまっていたのだ。
すでに、自社で販売している家を購入していた。
入れ替わりの激しい会社であったが、真一は、いつしか社内でNo.2になっていた。日曜や祝日も古田に呼び出されることが度々あり、家族サービスなどしている余裕はあまりなかった。平日も、接待や付き合いが多く、家族と一緒に食事をすることもほとんどなかったのだ。
そんな生活が続く中、若者向けのSNSでひとりの女性と知り合ったのは、長女がまだ中学三年の時だった。
その女性と不倫関係になるのに、時間はかからなかった。
真一は、その女性のこところに入り浸るようになった。当然、妻がだまっているわけがない。
ある日の夜に帰宅すると、妻が気配に気づいたようで、起き上がってきた。
妻の足はキッチンへ向かう。
「ただいま」
真一は何事もなかったかのように言った。
妻はしずかに包丁を手にし、真一へ向けた。
「まっ、待てよ」
真一は、本気であせった。
次の瞬間、包丁は妻自身ののど元へ向いていた。
「落ち着けって」
妻の顔は青白く、血の気がなかった。
「あの女とは、もうわかれたよ。結局、阿婆擦れだったんだよ。だから、下ろせって」
真一は、妻の手から包丁を取り上げた。妻もなんとか落ち着いたようだ。
こうして、真一も自宅に帰ってきて、表面上は、いつもの日常が戻ったかのように見えた。
しかし、根本的な問題は解決されていなかったのだ。
「男は金だけ入れていればいい」
こう言って、一生懸命働いてきた真一だったが、それだけでは、家族の絆はつなげなかった。浮気はただのキッカケで、すでに根本から腐りかけていたのである。
家庭がこんな状況の中、長女の綾香は高校受験に臨んでいた。
だが、勉強にも集中できずに、第一志望の高校に落ちてしまったのだ。
「パパのせいだ」
真一は家族の中で、ますます孤立していった。
妻は一度、自らの命をかけて真一をつなぎとめたが、結局、子どもたちから必要とされていなかったのである。
その後、間もなく、二人の離婚が決まった。
男は金だけ入れていればいいというわけではなかったことを思い知らされた真一であった。
時は、ふたりが高校時代。
「大輔、進路どうすんの?」
「なるべく、いい大学いって、大きいところに就職する。真一は?」
「う〜ん、よくわかんないけど、大学は無理だから、専門学校でも行くよ」
大輔は、二流大学へ進学し、そのまま今の会社へ就職した。高校時代に思い描いた通りの人生を歩んでいたのである。
そして、二度の婚約破棄の後、現在の妻と結婚したのだ。結婚した後は、絵に描いたようなマイホームパパで、仕事も精力的にこなし、同期の中では出世頭である。
また、休日の家族サービスも忘れてはいなかった。
こんなふたりが不惑の年を迎えていた。
大輔は、長女の小学校入学に合わせて、新築の家を購入し、引っ越したのである。
一方、離婚した真一の妻と子どもは妻の実家へ引っ越してしまった。そこで、ひとりで住むには広すぎるマイホームを売りに出して、自らは会社近くのアパートへ引っ越したのである。
こうして、高校の同級生であるふたりは、またまた同じ年に引っ越したのだが、その内容は、まったく異なるものであった。
離婚した真一は、実家に顔を出すことも多くなった。
そのついでに、久しぶりに大輔と再会したのだ。
「大輔、久しぶり。どうしたの?げっそりしちゃって。大丈夫?どっか悪いんじゃないの?」
「真一こそ、どうしたんだよ。すっかり太っちゃって。大丈夫?」
「最近、ひとりで気楽にやってるから、夜中のらーめんにハマっちゃってさ。よくないよね」
「俺の方は大丈夫だよ。この間の健康診断も異常なかったし。それより、やっぱり離婚って大変?」
「まあね。でも、一旦決めちゃえば、あとは淡々と進めるだけだよ。流石に、妻が子どもたちに自分の旧姓の練習をさせているのを見た時は、寂しいものがあったけどね」
「そっか。それは寂しいものがあるよな。ところで、相変わらず、仕事は忙しい?」
「忙しいね。小さいところだから、コキ使われてるよ。大輔は?」
「俺も貧乏ヒマなしさ。でも、日曜と祝日は休むようにしてるけどね」
「俺がいうのもなんだけど、やっぱり家族とのコミュニケーションは大事だね。ただ、今は俺も自由をそれないりに楽しんでるけど」
「もしかして、次の相手がもういるんじゃないの?」
「まさか。しばらく恋愛する気分にはなれないよ」
「まー、ひとりで寂しいだろうし、時間があれば、気軽に連絡してよ」
「うん。ありがとう」
10年後。
板倉大輔は相変わらずの生活を送っていた。仕事も家庭も順調で、肩書は部長になっていた。
スマホの待ち受け画面は、相変わらず、子どもたちの写真である。
一方、大柴真一には、ちょっとした変化があった。真一が勤める工務店の創業者である古田信明が数年前に引退していたのだ。
古田には子どもがいなかったので、会社はNo.2の真一が引き継いだ。その際、従業員も半分くらいに減らし、真一にはちょうどいい規模の会社になっていた。
小さい会社とはいえ、社長になった真一の収入は、この時点で大輔の収入を超えていた。
時間とお金を自由に使えるようになった真一は、この頃から生きることに少し積極的になってきたのである。
さらに5年後。
板倉大輔の葬儀が行われていた。
「大輔・・・早すぎるよ」
大柴真一は早すぎる友人の死をとても悲しんだ。
ヘビースモーカーである大輔は、健康診断で、肺にがんが見つかった。本人も必死に病気と闘ったのだが、まだ、若かったので進行も早かったのだ。
発見からあっという間の出来事であった。
残った家のローンは保険で返済された。
さらに、大輔は仕事上の付き合いで、多数の生命保険に入っていたので、遺族には多額の保険金が入ってきた。
マイホームパパは、命を懸けて、愛する家族を守っていたのである。
そのため、残された家族は、特に不自由もなく、幸せな暮らしを続けられたのだ。
一方、真一は二度目の青春を謳歌していた。
前向きに生きるようになっていた真一に、恋のチャンスが訪れていたのである。
「ほんとに、こんなおじさんでもいいの?」
「恋愛に年齢は関係ないでしょ?」
相手は、娘とそう変わらない年頃の女性で、すでに籍も入れてある。さらに、お腹には赤ちゃんもいる。世間では、金目当てだなどと陰口をたたくものもいたが、本人たちは、心の底から愛し合う喜びを感じていた。
「大輔、俺も今度はお前みたいに、もっと家族を大事にするよ」
亡き親友に、そっと誓う真一だった。