まず、前回記事の「Mr.Children 常套句の意味と歌詞の感想」はこちらです。
さて、あなたにとって幸せとは何でしょうか?
いい学校を卒業して、いい会社に就職して、素敵な恋愛をして、結婚して、子どもが生まれて、ファミリーカーに乗って、家を建てて、安定した暮らしをすること。
不毛でもなんでも、とにかく大好きなひとと一緒にいること。
とにかく、お金持ちになること。
etc...
「それは人それぞれでしょう」という答えもあるかもしれません。
ですが、そうなると、あらゆることがそれですまされてしまい、考える必要もなくなり、すべてが止まってしまいます。
なので、あえてむずかしいテーマと向かい合ってみたいと思います。
そもそも、「幸せ」を手に入れるということは、完全に満足し、安心し、全てが満たされ、平穏になるということです。そうなった時、人間はどうなるでしょうか。
きっと、何もしなくなります。
例えば、先に例にも出した「安定した暮らし」(幸せ)ですが、もし、みんながそうしているから自分もそれを目指すというのであれば、とても残念という感想はさらっと流すことにして進みます。
安定した暮らし(幸せ)が続くと、人はその小さな殻の中に閉じこもり、外界がみえなくなってしまう危険があります。
つまりは、その手に入れた幸せが、未来もずっと続くと錯覚してしまうということです。
もし、現在と同じ未来が必ずやってくるとしたら、パナソニック・ソニー・シャープなどの一流企業はリストラなどしなかったはずです。また、古い話しですが、リーマンショックもなかったし、バブルも崩壊しなかったはずです。
ジョン・スチュアート・ミルという現代に多大な影響を与えた思想家は次のように言っています。
「感受能力の低いものは、それを十分満足させる機会にもっとも恵まれているが、豊かな天分をもつ者は、いつも、自分の求めうる幸福が、この世では不完全なものでしかないと感じるであろうことはいうまでもない」
つまり、「愚鈍な人間は、適度なところで満足するけれど、そうでない人間は、自分の求めている幸福というものが『愛』とか『正義』とかいろいろと高次元なものから成ることを知っているために、常に不満足である」ということです。
これを踏まえると、幸せとは、手に入れるものではなく、求め続けるものだということではないでしょうか。そして、求め続ける過程こそが美しいのだと思います。
なんだか、スペインのバルセロナにある造り続けることに意義があるというサグラダファミリアのようですね。
例えば、二人の売れない芸能人がいたとします。
一人は、芸能界で有名になって、お金を稼ぎたいために頑張っています。
(利己主義)
もう一人は、お金よりも、ひとりでも多くの人を笑顔にして、明るい世の中にすることを願いながら頑張っています。
(利他主義)
この二人が、たまたま同じような時期に世に出て、ケタ違いの収入が入ってきたとします。
数年後、
前者は、この時点で幸せで満たされて、すっかり姿を消しました。
後者は、常に新しいことや分野にチャレンジし続け、末永く、芸能界で活躍しました。
これに似たようなことは、実際にけっこう起こっていると思いますよ。
こういったことを踏まえると、万が一幸せを手に入れてしまったら、次のステージの幸せを求め続けるということになります。
初めから自分の求める幸福が高次元なところにあればよいのですが、「小さいことからコツコツと」と言っていた方もおりましたし、その都度、ステージアップするのもありかなと思います。
私が尊敬する人物のひとりであるソフトバンクの孫正義さんは、約6400億円の資産があります。流石の孫さんも一時期は幸せに満たされたことがあったと思います。もう働かなくても死ぬまで生活費にはこまらないでしょうから。
ですが、そんな時、ツイッターが登場します。これで、大企業のトップとコンシューマーが直接つながる接点ができたわけです。
そこで、「ソフトバンクの電波はつながらない」とかいろいろなクレームを直接目にするようになりました。
これで、孫さんにとっての幸せはさらに高次元なものになり、新たな挑戦がはじまったのです。アンテナや基地局を増やし、ようやくプラチナバンドも獲得しました。今となっては最もつながるキャリアになっているかもしれません。
最近では、総額1兆5700億円で海外のキャリアまで買収しました。
そんな孫さんは、2011.3.11の震災の時、100億円寄付し、これからの役員報酬もすべて寄付することになっています。あんなに一生懸命働いて、「やりましょう」「できました」を繰り返しているのに、実質無給なわけです。これは、ものすごい利他主義だと思います。
孫さんは、それでも「ワシなど、まだまだ何も成し遂げていない」というようなことをつぶやいています。我々からみれば、あんなにいろいろ成し遂げているのにです。
これは、孫さんは今なお幸せを追い求め続けているということに他ならないと思うわけです。
では、真の幸せは、いつ手に入るのでしょうか。
それは、死んだ後です。
そのために、今ここを一生懸命生きているのだと思います。
私は以前、ツイッターで志茂田影樹さんに「幸せとはなんですか?」と質問しました。
なかなか返事がもらえなかったので、何度か同じ質問をしてみました。
すると、しばらくたってから、志茂田さんのつぶやきに下記の内容が登場しました。
「難しいことを訊くねえ、あえて幸せの基準を教えてくれだなんて。喜怒哀楽という4字熟語があるよね、これの喜と楽を足したものから怒と哀を足して引いてみようか。答が1以上だったら充分に幸せだということだよ」
流石に一流の作家だけあって、素敵な答えです。
ちょっとアレンジを加えると、
「喜怒哀楽という4字熟語があるよね、死んでみてから自分の人生を振り返って、これの喜と楽を足したものから怒と哀を足して引いてみようか。答が1以上だったら充分に幸せな人生だったということだよ」
例えば、、先ほどの後者の芸能人ではありませんが、夢を持って努力を続けることは、辛く哀しいことがほとんどだと思います。それを乗り越えて他人を喜ばせたり楽しませたりした時に、初めて自分も喜と楽を味わえるのではないでしょうか。そして、さらなる大きな夢へ向かってこれを繰り返すことが、幸せを求めて今ここを生きるということです。
これは、他のビジネスでも同じですね。利己主義でなくて、利他主義でなければ、長続きしないということです。
まとめると、
・幸せとは生きているうちに手に入るものではなく求め続けるものである
・もし小さな幸せを感じてしまったら次のステージの幸せを求め続ける
・真の幸せを味わうのは、死んだ後である
死後の世界が気になる方はこちらをご覧ください。
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でも、なんだかんだいっても、誰かと一緒に恋に落ちたときとか、心から愛しいと想うひとのそばにいるときなんかは、確かに幸せを感じるんじゃないの?という矛盾は、大人なので両行することにします。
いずれにしても、仕事のあとの毎日の晩酌タイムに、小さな幸せを感じている私は、もっともっと高次元にレベルアップなくてはいけません(_;)
みなさんの幸せを願いつつ、終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。